〈さんかする〉イベントレポート
Event report

|2018.07.05

山王祭参加レポート~神輿がつなぐ地域の絆~

梅雨冷えのとある日曜、日本橋髙島屋、丸善、明治屋など、歴史ある店が数多く並ぶ「中央通り」が、京橋・日本橋間で全面通行止めに。総勢17基の神輿とおよそ1万人の担ぎ手で埋め尽くされました。その壮観な眺めの中に、まさか自分がいるなんて!江戸が東京になって150年の節目の年、インドア派のアラフォー女が、日本三大祭にも数えられる「山王祭」で神輿を担ぐまでをレポートします。

東京一広い、日枝神社の氏子地域

始まりは2017年8月。転職に伴い、八重洲で働き始めたことがきっかけでした。ここから、山王祭を執り行う日枝神社(千代田区永田町)まで4キロほど離れていますが、日枝神社の氏子地域はなんたって広い。千代田区、そして八重洲のある中央区を中心に、新橋や四谷といった港区や新宿区の一部まで及びます。東京の真ん中で、これほどの規模の祭りを催行していることは、氏子たちの誇りなんだそうです。

……と、今でこそ訳知り顔で書いてますが、新年度を迎え、会社から山王祭への参加を呼び掛ける通知があるまでは、私の山王祭に関する知識はごくわずか。神田祭と交互に隔年で行われているということと、江戸時代には、江戸城まで入ることを許された「天下祭」だということぐらい。ですから、由緒正しき祭りの門戸が、住む人だけでなく、働く人にも開かれていることに、単純に驚きました。

山王祭には本地域に集積する企業や商店などが数多く参加。場所柄、外国人旅行者の姿も目立つ

山王祭は20以上の諸祭典を含めた総称です。今年は6月7日(木)から11日間にわたる祭りの日程が組まれ、日本橋から八丁堀までの、いわゆる江戸城下の下町の神輿の出番は6月8日(金)・9日(土)・10日(日)の3日間。10日には、それまで自町内を巡行していた各町の神輿が一堂に会する山王祭の見せ場、「下町連合渡御」があります。

企業と祭り、地域の支え合いを考える

ここで少し歴史を振り返ってみると、江戸の神輿といえば、御神体を乗せた神社神輿のみ。各町会は山車の大きさ、あでやかさで競い合っていたとか。しかし明治に入り、山王祭は幕府という後ろ盾をなくします。その後も、関東大震災や第二次大戦の戦災、電線や交通事情の変化などから、豪華絢爛な山車の維持や通行が困難に。代わって、町会単位で神輿を担ぎ威勢を張り合う、現在の祭りが形づくられていきました。

このように、町神輿が主流となったのは都会事情によるわけですが、都市化がさらに進展するにつれ、担ぎ手である地元の氏子の数が減少。一方、日枝神社の氏子地域は大型のオフィスビルも立ち並ぶ東京の大商業地域。星の数のほどの人が、一日の大半をこの町で過ごしています。担ぎ手の募集を最初に見た時には少々面食らいましたが、様々な困難を乗り越えてきた山王祭の歴史を知るほどに、むしろムクムクとやる気が湧いてくるのを感じました。なお、自町の神輿を担ぐには町会への参加が必至です。自分の会社が、地域の一員としてまちづくりに参加しているかどうか、この機会に、会社のCSR活動について再確認してもいいかもしれません。

地縁のバトンをいかにつないでいくか。神社が火災その他災厄の時に、まっさきに駆けつけて消火と神霊を奉護する「御防講」は、氏子たちの真心で結成された組織

そんなこんなで、10日に巡行する町神輿の担ぎ手に名乗りを上げた私。もともと、生まれ育ったのは隅田川べりで、ザ・下町です。私立中学へ進学するのに合わせて家族で山の手に引っ越したため、下町と山の手、どちらも地元のようで地元ではない宙ぶらりんな気持ちのまま30ウン年。地元という根っこのある生きかたへの憧れもあり、余計に感情移入しやすかったのかもしれません。皆さんには、地元はありますか?

どんな衣装で一体どうやって担ぐの?

伝統の祭りなだけに、神輿の担ぎ方や衣装など、クエスチョンが尽きないという人も多いと思います。結論としては、心配ご無用。担ぎ方の動画を見てイメトレをしたところで、前後の人と肩の高さが合わないと“エアー神輿”になってしまったり、どういうわけか頭に担ぎ棒がゴンゴンぶつかってきたり。前者の問題解決には、神輿枕なるものがあると、姐さん方(山王祭で初めてお会いした)に教えてもらいました。また、担ぎ棒に襲われたのは、私が足元ばかりに気を取られていたせい。その証拠に、腰でリズムをとる感覚を掴んだ中盤以降、自然と上を向いてからはいたってスムーズ。そう、担ぎ方は現場で覚えるものなんです! とはいえ不安だという方には、企業や町会主催の担ぎ方練習会への参加をおすすめします。

担ぎ棒を肩と首にしっかりと押さえつけるのがポイント。被っても良し、拭いても良しの手拭いはあると便利

準備する物についても、経験者に聞けばすぐに答えが返ってきます。地下足袋、半股(股引)、丸首Tシャツ(鯉口シャツ等)の3つは必要最低限。半纏と帯は、所属する町会や団体、企業などから貸し出されるケースがほとんどではないでしょうか。あったら便利な持ち物は、スマホや財布などを入れる巾着袋と、個人的にも反省と教訓の材料となった手拭い。というのも、神輿の中は相当な人口密度。少しでも長さのある髪は、後ろの担ぎ手の邪魔になります。私の髪は、ヘアゴムだけではひとつにうまくまとまりきらないショートボブ。またも姐さん方を頼って、手拭いで頭を覆うスタイルに急遽変更しました。ちなみに、動くたびに揺れるポニーテールもNG。シニヨンネットを被せるなどして固定しましょう。

いよいよ本番、一気に高まるボルテージ

話が一部前後しましたが、多くの人々によって大切に受け継がれてきた山王祭に、いよいよ当事者として参加するハレの日。私は会社の控室で着替えを済ませ、檜物町(八重洲一丁目東町会および中町会)の神酒所へ。朝8時半、続々と集まってくる担ぎ手たちは自分以外みんなベテランに見え、多少心細くなりつつも、御仮屋から担ぎ出された黄金色に輝く神輿を前に、テンションが上がらないといったら嘘になります。9時の町内巡行スタートまであと10分、あと5分、あと1分!

木頭の拍子木を合図に担ぎ手たちが一斉に神輿を上げる

写真に映った半纏姿の私はびっくりするくらい笑顔。確かに最初は、我先に神輿を担ぐ猛者たちに圧倒され、神輿になかなか近づけません。また、周囲のフォローを得て、ようやく空いたスペースに体を滑り込ませたものの、頭に担ぎ棒が当たるアクシデントは、前述のとおり。何より、約1トンある神輿は想像を絶する重さ。後日右肩に残ったあざが物語っていました。なのに、楽しい! 前後の人たちとタイミングが合わずあたふたしていたと思ったら、いつしか担ぎ手の呼吸がひとつに合わさり、神輿の飾り金具のぶつかり合う金属音と、「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声だけが、脳に直接響くような心地よさ……これってトランス状態⁉ 降り出した雨も、体の痛みも、汗のにおいも、気にならなくなるから不思議です。

集まった神輿は全17基、盛大な下町連合渡御

昼休憩を挟み、時刻は正午。京橋の東京スクエアガーデン前に下町連合の神輿全17基が集結。大きい神輿だと交代要員を含めて約500人、小さい神輿でも約200人の担ぎ手がつくため、1基ずつ時間差で出発。1、2を争う大きさの檜物町の神輿はトリを務めます。激しさ増す雨を吹き飛ばさんばかりに、威勢の良い掛け声で前を行く神輿。さあ、我々も続こう!
どこよりも勇壮な渡御を!

降りしきる雨に身体は冷えるも気持ちは冷めず

合計約1.5キロを約2時間半かけて巡行する下町連合渡御。さすがに身体に疲労がたまってきますが、その時々で周囲の人に目を合わせると担ぎを交代してくれます。こうしてかわるがわる神輿を担ぎ、日本橋のたもとにたどりつくと、鳶頭衆が木遣りを唄いながら先導。担ぎ手たちが天に向かって神輿を差し上げ、祭りは最高潮に。辺りには声援とも怒号とも取れる声が響き、歳事に燃える日本人の原点を垣間見た気がします。だって、どの男も女も輝いて、最高にかっこいい!

日本橋をUターンした神輿は日本橋髙島屋を訪問。神輿の屋根に乗る鳳凰が天井にぶつからないよう、担ぎ手が中腰になりながら正面入り口に乗り入れる緊張の一瞬。ここまで共にやってきた仲間とのチームワークを確かめ合い、私の山王祭レポートもあとちょっとで完結です。

形を変えながら、それでも祭りは続く

今回、山王祭に参加して、神輿の担ぎ手の半纏の背中に実にたくさんの企業名を見つけました。都心が氏子地区の祭りならではの光景といえますが、100年前とどこが同じでどこが違っているのでしょうか。神輿がつなぐ地域の絆は、町の人たちにとってかけがえのない喜びで、この先もきっと変わらない。だから、形が変わっても、祭りは続いていくのだと思います。2年に1度の山王祭ですが、祭りが終わった瞬間から次の祭りの準備がスタート。次回は2020年、東京オリンピックの開催年と重なります。

お揃いの半纏は誇りや絆の象徴

山王祭についてもっと詳しく知りたい方はこちら
http://guidetokyo.info/culture/sannou/
 

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