〈みるきくしる〉山王祭
Sanno-Sai (Traditional Festival)

|2016.10.14

「鳶頭(かしら)」って何ですか?

このまちには、半纏を着て、粋にまちを飛び回る、「鳶頭」という人たちがいる。彼らは何をする人ぞ?

江戸時代の「町火消し」がルーツ。


現代の鳶頭かしらのルーツを遡ると、江戸時代の町火消制度に辿りつく。享保3年(1718)、南町奉行大岡越前守が「火災が起きたときは、風上及び左右二町以内から火消人足にんそく三十人ずつ出すべきこと」と発令。武士による武家火消し(大名火消し・じょう火消し)だけが存在していた江戸の町に、このときはじめて町人から成る町火消組合が誕生した。

当初、30人の職業はさまざまだった。商家の丁稚でっちや手代、左官、大工、鳶……。中でも火事場で大活躍したのは、高い場所に慣れていて男気おとこぎもあり、屋根の上で威勢よくまといを振り、恐れず火に立ち向かうことのできた鳶たちだ。やがて町火消しは鳶で編成されるようになり、享保5年(1720)、町火消組合は「いろは四十八組」(一〜十番組に分類)と本所・深川の十六組(南・北・中組に分類)に改編される。このうち江戸の中心である八重洲・日本橋・京橋エリアを管轄した二番組のろ組、せ組は、江戸町火消しの中でも一目置かれる存在であった。

町火消しは、道路や家屋の普請、祭礼の設営や警固、祝い事や催事の運営なども手がけた。火災の鎮火のみならず日常生活においても、ハレとケの両面でプロの技と経験を発揮して町のために尽くした彼らは、必要不可欠な存在として町民から厚く信頼された。

(左)江戸町火消しの「いろは四十八組、本所深川南北中十六組」ごとに、独自の図柄があしらわれている。鳶頭は町への誇りから、お祭りのときや、役半纏の下などに好んで着用している。
(右)明治以降、警視庁所属「市部消防組」以来の半纏。腰の白線に「区」、背中に「番組」、襟に「役職」が書かれ、火災現場でも一目で所属がわかるようになっている。江戸消防記念会では基本的にこちらの半纏を着用。

明治以降、消防活動は「消防署」、伝統保存は「江戸消防記念会」に。


明治維新と共に町火消しは東京府に移管。明治5年(1872)に「市部消防組」と改称され、14年には東京警視庁の管轄となった。昭和に入ると消防以外に防空の任務も加わり、昭和14年に勅令「警防団令」により「警防団」と名前が変わる。このとき消防活動と切り離して、「梯子はしご乗り」「纏振り」「木遣り」など、江戸町火消し由来の伝統文化を保存するために、市部消防組の有志による任意団体「江戸消防記念会」が発足した。これが現在の一般社団法人江戸消防記念会だ。東京23区を11区に分け、その下に87の組を設け、正会員(各組の三役=組頭・副組頭・小頭)と準会員(筒先・纏持ち・梯子持ち・若衆)合わせて約800人の鳶が所属する。

ちなみに鳶の中で「鳶頭」と呼ばれるのは三役で、彼らは赤い半纏を着ることが許される。なお消防活動は、昭和23年より消防署が担っている。

現代の鳶頭は何をするの?
 「木遣り」「纏」「梯子乗り」の伝統技を披露。


現代の鳶頭は本業の鳶職(建設業など)以外に、どのような働きをしているのだろうか。まず、江戸消防記念会正会員としての役目は欠かせない。年間を通してさまざまな行事が催されるが、全会員が集まり梯子乗り、纏振り、木遣りを行う東京消防出初式(1月6日)と消防殉職者慰霊祭(5月25日)は最重要だ。組ごとに稽古日を設けて練習を行うこれらの伝統文化は、地元のイベントや祝い事の会場などで披露されることも多い。

毎年1月6日に開催される、東京消防出初式での梯子乗り。(提供・一般社団法人江戸消防記念会)

 地域の「縁の下の力持ち」─お祭り・門松づくりなど。


私たちが身近に赤い半纏姿を目にする機会といえば祭礼だろう。かつての、ろ組、せ組で現在「第一区」に分類される日本橋・八重洲・京橋エリアには山王祭という天下祭がある。江戸時代から続く大店「柳屋外池(といけ)本家」の抱え鳶を先祖に持つ「ろ組」(現第一区三番組)組頭の鹿島彰さん、半纏の世界にあこがれて33歳で鳶の世界に入った「せ組」(現第一区四番組)組頭の武藤幸彦さんなどによれば、山王祭を陰になり日向になり支えるのが鳶頭たちだという。御仮屋(神輿を飾る建物)や神酒所の設営、家々の軒につるす軒花提灯架けなど前準備から忙しく、当日の神幸祭(東京の中心部を練り歩く山王祭最大の神事)では御霊をのせた御鳳輦(ごほうれん)を警固し、木遣りの集団が行列の先頭をつとめる。また各町内の神輿や山車の警固や露払い(先導)といった重大な任務を預かる。

年末の門松作りなど、迎春の準備を整えるのも本来は鳶頭の仕事だ。何かと簡易に済ませがちな現代だが、八重洲・日本橋・京橋の旦那衆は、地元の鳶頭に昔ながらの門松作りを依頼し風物詩を守ろうとしている。江戸町火消しの時代に培われた鳶頭と地元との密接な関係が、ここにはまだ生きているのだ。

(左)「日八会 秋のお江戸まつり」で、地元の江戸消防記念会一区の鳶頭たちが、木遣りと梯子乗りを披露する

(右)地元の鳶頭が作った「御仮屋」に修められた檜物町(八重洲1丁目)の神輿。山王祭の宵宮で、神職が御霊入れの儀式を行う。(撮影・大八木宏武)

TEXT:浅原須美
東京人2016年7月増刊より転載

Pagetop