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〈みるきくしる〉山王祭
Sanno-Sai (Traditional Festival)

|2018.05.16

御利益を求めて、まち歩き。

絵・吉井みい

日枝神社は〝末社〟の三柱の神様も、すごい。


日枝神社の主な御利益は、縁結び、商売繁盛。境内にある〝末社〟もお参りに訪れてみてはいかがだろう。


「火鎮めの神」山王稲荷神社

江戸時代に永田馬上星が岡と呼ばれた古い地主神。現本殿の山王権現が江戸城内から歓請され、山王権現社の境内となってからは二社そろって崇敬された。その霊験は計り知れないといわれており、昭和の戦禍で境内が焼けたときも、この社は戦火から逃れたことから「火鎮めの神」としても敬われた。
稲荷神社専用の「稲荷参道」があり、朱い奉納鳥居が社に向かって90基並んでいる様子は異次元へのトンネルのよう。本年の例祭は4月20日。

左:「山王稲荷神社」(手前社殿)、「八坂神社」「猿田彦神社」(奥の社殿に合祀)。左右を守る狛犬は、江戸時代、南伝馬町(現京橋)が神田神社境内にあった天王社に奉納したもの。

右:稲荷神社につづく稲荷参道。90基の鳥居が迎えてくれる。
(左、右撮影・尾田信介)


「道開きの神」猿田彦神社

一昨年(平成28年)は、申年にちなみ〝パワースポット〟として参拝者が増加。神話でも有名な猿田彦神は、天孫を導いた「道開きの神」。道開きとは、新しいことを始めることでもある。その由来で、いずれの道を進むべきか思案にくれるとき、その行路の別れ道にあって、御神徳を発揮するといわれている。道案内の神として古くから信仰されている。二ヵ月に一度巡ってくる大神由縁の庚申(かのえさる)の日に庚申祭が開かれる。


「剣の神」八坂神社

「剣の神・開運の神」である素戔嗚尊が猿田彦神の相殿神として祀られている。江戸期は南伝馬町(現京橋)にあり、謎多き仏教神・牛頭天王と習合され「江戸三天王」と称されていた。神田神社境内に鎮座していたが、明治19年に日枝神社境内へと移っている。「江戸三天王」の名を知る人も現在では少なくなっており、「天王さま」の社は東京各所、古い神社の摂末社にひっそりと残るのみ。例祭は6月7日。

左:八坂神社「絆守」(各800円) 中:山王稲荷神社「御眷属奉納」(800円) 右:猿田彦神社「みちびき祈願絵馬」(800円)


徳川将軍家ゆかりの宝物がずらり。《宝物殿》

昭和53年に行われた江戸城内御鎮座500年大祭の記念事業として、その翌年に造営された。国宝・重要文化財を含む刀剣31口の他、徳川将軍家ゆかりの宝物が多数所蔵されている。

■10時~16時/火・金休(神社行事により変更有)/無料

かぶ守、獅子守で運気上昇!子宝の神も。日本橋日枝神社(摂社)


日本橋日枝神社では、近年、日中の参拝者を増やそうと、多様な取り組みが行われている。

日本を代表する金融街、兜町・茅場町に位置することから、「株」と野菜のカブをかけて「かぶ守」を考案。御朱印帳にもカブがデザインされている。金運上昇の御利益を求めて、経営者や投資家などに人気だ。平成30年1月から「子授け祈願の御守」と「獅子守」の授与も開始。当社には出産や災害除けの女神である木花佐久夜比売命が祀られていることから、妊活中や出産を控える女性にご利益を、と考案された。「獅子守」は、境内にある一対の狛犬をモチーフにした。関東大震災の復興と運気上昇を願い、昭和九年に奉献されたもので、天を仰いだ狛犬は全国に数例しかないそう。
こうした取り組みが功を奏して、ここ数年、仕事前に参拝するサラリーマンが増加。朝には行列ができることもある。御朱印巡りの参拝客も増えたという。

まだまだ取り組みは止まらない。今年4月から、日本橋日枝神社でも、一日一組限定で神前結婚式が行えるように。挙式初穂料が5万円からと、比較的リーズナブルだ。「結婚式をきっかけに、お子さんが生まれればお宮参り、七五三と、人生の節目で日本橋日枝神社との御縁を深めていただければ」(日枝神社)。また「節分祭」も新たに行う計画だ。

「山王祭」期間中も、これまでは神幸祭の間(御旅所)や、下町連合渡御の宮入・宮出のとき以外はひっそりとしていたが、今年からイベントを仕掛けていく予定。ぜひ足を運んでほしい。

左:境内にある狛犬。縁起がいいと、なでていく参拝者も多い。 中:「株が上がる」と評判の、オリジナルの御朱印帳(1000円)。
右:「獅子守」(800円)。上を向いた狛犬には、運気上昇の御利益が。

左:「子授け祈願の御守り」(1000円)。子授け、安産の御利益が。 中、右上:「かぶ守」(800円)。

下町連合エリアで、御利益めぐり。


名作にも〝縁結び〟の一節が。西河岸地蔵寺(日本橋西河岸地蔵寺教会)

江戸時代から昭和初期まで存在した町名・西河岸町。日本橋から一石橋にかけて南側の一帯にあたる。その町に享保3(1718)年9月に地蔵堂として建立された(昭和25年より「日本橋西河岸地蔵寺教会」に)。
安置してある地蔵菩薩は、日を限って至心(ししん)に祈願すれば延命の御利益を授かるところから、「日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)」と呼ばれた。

日本橋芸者衆の物語を書いた泉鏡花原作『日本橋』でも主人公たちのお参りの様子が書かれており、「縁結びの西河岸地蔵尊」との一節も。新派俳優・花柳章太郎も「日本橋」上演の際に祈願に訪れ、昭和13年に「お千世の図額」(画・小村雪岱/区有形文化財)を奉納している。

■中央区八重洲1-2-5

左:西河岸地蔵寺(日本橋西河岸地蔵寺教会)

右:境内にはお百度参りの基点「百度石」がある。


証券界の守り神。兜神社

東京証券取引所の北方に位置。主な祭神は商業の守護神である倉稲魂命(稲荷神)、合祀の神は大国主命(大黒様)と事代主命(恵比寿様)。鎧の渡付近にあった平将門を祭ったといわれる鎧稲荷と、源義家所縁の兜塚が前身。
明治4(1871)年、東京商社(三井物産の前身の一つ)の移転に伴い、鎧稲荷と兜塚が鎧の渡と兜橋の間に遷され、鬼塚を元に源義家を御祭神として兜神社が創建、鎧稲荷と合併した。明治7(1874)年には、源義家の祭祀を止め、大国主命と事代主命を合祀。明治11(1878)年、東京取引所が兜神社の氏子総代となる。

兜神社は日本の証券界の守り神とされ、昭和2(1927)年に現在の場所に遷された。境内の兜岩には、源義家や平将門にまつわる伝説がある。例大祭は4月1日。

■中央区日本橋兜町1-8

左:兜神社 中:兜石(左、中撮影・渡邊茂樹) 右:兜神社の御守りは、東京証券取引所本館西口で授与。


伊勢大神宮・別宮から来た神様。天祖神社

元宮は伊勢の皇大神宮の別宮・伊雑宮で、祭神は伊佐波登美命と玉柱屋姫命の二座。寛永元(1624)年に日本橋通三丁目(現京橋2丁目)に建立、同10(1633)年八丁堀(松屋町)の現地に遷宮された。
当時氏子は、松屋町、岡崎町、長澤町、元島町、仲町の五町。『江戸名所図会』にも描かれ、昭和初期までは毎月26日を縁日とし、露天商も多数出店。八丁堀一円、本所深川からも参拝客が集まり賑わった。

■中央区八丁堀3-6-6

左:天祖神社 右:「江戸名所図会 伊雑大神宮」。江戸時代の賑わいがうかがえる。

※下町連合発行、月刊東京人制作「山王祭」2018年より転載

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