まるで、錦絵の中から江戸町火消したちが動き出して纏をふるい、木遣りを響かせる声が聞こえてくるようだ。何といきいきとした絵だろう。半纏の着方や柄、細かな道具やしぐさに至るまで精密に時代考証を行い、しかも、火消しへの尽きぬ愛情をもって描かれているのが伝わってくる。本誌の表紙を手掛けたのは、江戸町火消し錦絵の第一人者、岡田親さん。氏が描く世界は多くの人を魅了してやまない。直木賞作家である山本一力さんの数々の作品の表紙を飾っていることでも知られている。
岡田さんは、京橋生まれの京橋育ち。鮨屋「京すし」の四代目として、つい最近まで腕を振るってきた。京橋で明治初頭より曾祖父が仕出しの商売を始め、いつからか家業は鮨屋となった。
「鮨屋を継がなくちゃいけないのは子どもの頃からわかっていたけど、子どもの頃は近くに住んでいた鳶頭の叔父(江戸消防記念会第一区総代を務めた塚田徳太郎氏)に憧れてね、そこの家の子供になりたかったくらい。しょっちゅう叔父にくっついて行って、鳶の世界を見させてもらったんですよ」
岡田さんは、おばあちゃん子でもあった。祖母に連れられて小さいときから、人形町の寄席、末廣亭で志ん生や文楽の落語を聞き、歌舞伎座で十一代目市川團十郎の芝居も観た。そうした体験が、今も岡田さんに江戸の風をまとわせているのだろう。
十代後半から江戸町火消しの錦絵の蒐集家となった岡田さんは、あるとき、悔しい思いをした。
「神田神保町の古本屋で、北斎のすばらしい作品を買おうとしたら、一桁多くふっかけられた。若造だとバカにされたんです。そのとき、自分で描こうと天啓に打たれたんですよ。あのときは悔しかったけど、その出会いがなければ、コレクターで終わっていたでしょうね」
岡田さんは江戸町火消しの錦絵に没頭し続ける一方で、鮨職人としても腕を磨いた。凛とした佇まいの店内はこざっぱりとして、そこで握られる鮨が愛されてきたのだ。「目の前に座った方と真剣に相対して鮨を握ってきました。人の百倍二百倍の集中力で仕事をする姿勢は、鮨でも錦絵でも変わらない」と言い切る岡田さん。
岡田さんが創り出す無駄を削ぎ落とした美しい世界は、鮨にも錦絵にも共通しているのだ。「京すし」の跡地に今秋完成する、再開発ビル「京橋エドグラン」の中には、五代目が新たに店を開店する予定。歴史を刻む姿を岡田さんは見守っていく。
談:岡田 親(おかだ ちかし)
1946年東京都中央区京橋生まれ。69年立教大学卒業後、家業の「京すし」(中央区京橋2丁目/現在は再開発のため閉店)四代目を継ぐ。
TEXT:金丸裕子、 PHOTOGRAPH:渡邉茂樹
東京人2016年7月増刊より転載