学習能力も意欲もありながら、読み・書きに困難があるために、学校の授業についていけず遅れをとってしまう子どもたちがいる。「ハイブリッド・キッズ・アカデミー」通称「ブリキッ」は、スマートフォンやタブレット端末などのテクノロジーを活用した学習法を教え、彼らの困りごとの解決を目指す学習指導塾だ。
2013年に本格始動し、これまでに延べ1000人以上の生徒が通った。2017年に東京校を京橋に移転させてからは、東京駅から徒歩圏内とアクセスがよくなり遠方の生徒の受講も増えているという。今回は、中でも人気の冬期講習を特別に見学させてもらった。
子どもの意欲が育つ“ハイブリッド”な学習環境
「ブリキッ」があるのは、東京メトロ銀座線「京橋」駅に直結した「京橋エドグラン」の13階。日本全国から、小学生から大学生まで年間延べ200名ほどの生徒が通う。生徒たちは、読み書きに困難がある学習障害(LD)を抱えているか、あるいは、診断はなくても同分野につまずきを感じているか、困り方はそれぞれ異なる。そのため、各自の課題に合った学習方法として、スマートフォンやタブレット端末の読み上げ・入力機能といったテクノロジーを活用する力を身につける。このやり方ならできる、と失っていた自信を取り戻した子どもたちは、講師と共に自分の未来を切り拓く術を考え、学び、やがて巣立っていく。
SBプレイヤーズ株式会社が運営するブリキッは、2009年に、東京大学先端科学技術研究センター(以下、先端研)とソフトバンクグループが連携し、テクノロジーを活用した学習支援の実践研究プロジェクトを開始したのがきっかけで生まれた。先端研でサンプリングや調査を行った後、対象となった子どもたちや保護者に向けて簡易なアドバイスをすることは可能だが、複数の子どもたちを長期的に支援するのは難しい。民間の学習塾設立は、調査研究の範囲に留まらず、先端研が提供する学習方法を通年で学びたい個人のニーズに応えたかたちだ。
先端研の協力研究員であり塾の運営責任者である佐藤里美さんは「テクノロジーが有効であれば、止まってしまった学習を進められます。学ぶ環境が整って、自ら学習する意欲が育つと、子どもたちは目に見えて成長していきます」とテクノロジーによる補完の有効性を語る。塾名の“ハイブリッド”には「本人の能力」と、困難な分野を補正する「テクノロジーの力」の2つの力を掛け合わせれば、生徒が本来の力を発揮することができる、という意味が込められている。
すぐに使えて一生役立つ学びの技術
ブリキッでは、生徒の困りごとを「特性」と呼んでいる。特性は、黙読に時間がかかる、聞けば分かるが読み取るのは苦手、読めても書けない、書くのにすごく時間がかかる、ひらがなは書けるが漢字が書けないなど十人十色で、困り感のレベルもまちまちだ。
LDを持つ子どもたちの多くは、覚えることが多くなる4年生くらいで遅れを取り始める。学力の低下とともに自信を失い、学校に行くのが楽しくなくなったり、やる気が削がれて行きづらくなることも。ひどい場合は、勉強をまったくしなくなったり、暴力的な行動に出て教室で孤立してしまうこともあるという。だが、多くは「勉強についてこられない子」としてひっそりと困ったまま学年が上がってしまう。
単語などを暗記する場合、多くの人は繰り返し書いて覚える。しかし、LDの特性を持つ人にとって、そのやり方は決して有効でないそうだ。そのことを知らずに、同じようにやってできないから「怠けている」「努力が足りない」と決めつけるのは、遠くの文字が見えないのは近視のせいなのに、眼鏡を与えられないまま、離れた場所から文字を読みなさい、と言われ続けるようなもの。視力にあった眼鏡をかけさえすれば、直ちにその文字が読めようになる。
「生徒たちはタブレットを使うことで、ようやく他の生徒と同じスタートラインに立つことができます。教育の現場で理解が追いついていないのは残念ですが、機会に恵まれないために学びの目標が奪われている子どもたちが減り、いずれは特別な講座を設けなくても、テクノロジーを使うことが当たり前の世の中になることが願いです」。(佐藤さん)
“授業についていけない”をなくす冬期講習
通常6回で実施されているブリキッの『ベーシックコース』を、2日間通しのカリキュラムとして45分×5回に再編成した冬期講習は、遠方からでも通いやすいと評判だ。自分の苦手を補うテクノロジーの基礎を知り、そのテクノロジーを「身につける」訓練、「使いこなす」 実践、と進む。取材当日は、3年生から6年生まで7人の生徒が参加。1人に1台ずつタブレッ ト端末が配布され、主にタブレット内にインストールされたアプリケーションで読み書きを 代替する基本操作を学んでいた。
講師は、前方で大型スクリーンを使って授業を進行するメイン講師のほかに、生徒2人に対し1人いるサブ講師が、操作に戸惑いを感じていると思われる生徒をサポート。無論、講師陣は生徒たちの特性を事前診断で把握している。
カリキュラムは1コマで1課題をこなすよう組まれており、取材時に生徒たちが取り組んでいた課題は「プリントに書かれた漢字を調べて書き込む」というもの。各々タブレット端末を使い、まず、課題のプリント用紙を「カメラで撮影」。その後、撮影した画像を「形補正」、出題の漢字を「辞書アプリで調べ」、答えをプリントに「入力」。最後に、回答を講師に「メールで送信」する。
親子の葛藤、一緒に掴んだ突破口
静岡県から参加した小学6年生の男の子Kくんのお母さんに話を聞いた。彼は、書くことに苦手があるディスクレシアの特性がある。小学3年生頃から授業に追いつくのが難しくなり、自分なりに工夫してタブレットを使って宿題をこなすようになった。学校の教室でもタブレットを使いたいと担任教師に頼むも、許可を取るのに1年以上かかったり、いざ持ち込んでからも他の生徒から理解を得られなかったり、その間、低学年の子どもが受けるには大きすぎるストレスも、見守る親の想いも、つらく切実なものだった。
それでも、親子で特性について学び、各地のカンファレンスなどに参加するうちにKくんは「自分の特性と付き合っていくための方法はある」と受け止めるようになった。最近では、将来の夢について語るなど、その目は確かに前を向いている。ブリキッの冬期講習への参加を決めたのもKくん自身だ。冬休み明けからタブレットの使用許可がある地域の学校に通うことが決まり、その準備のためだという。
授業中、教室の様子を別室から観ていたお母さんは「学校の授業参観では、内容が頭に入らず気が散っているのが明らかなのですが、今日は全然違いました。息子は、集中するとあくびをする癖があるんです。今日はあくびがたくさん出ていました」と、安堵の笑顔を見せていた。
未来のために「ファーストケース」を育てる
「ブリキッの学習法が各地の教育現場でのファーストケースになるよう、民間企業こそのスピード感で新たな試みを行っていきます。テクノロジーの進歩に伴い、私たちの 身につける技能が変わっていくのは当然。教育が求めるものだけがいつまでも変わらないままというわけにはいかないはずです」。(佐藤さん)
ブリキッでは、生徒たちと一緒に考え、必要があれば教育委員会へ働きかけることもある。時には難しい反応も返ってくるが、前例をつくり続けて各地で理解が広がれば、学校の教室でタブレット端末を使うことがいつしか当たり前になる。学習の機会を取り戻し意欲的に学んだブリキッの卒業生が、将来、イノベーションを生み出す力を持つ人材になる可能性は大いにある。ここ京橋で、子どもたちの夢が静かに育っていた。