東京の地形を楽しむ散歩はいつだって地図愛好家たちを熱狂させる。
都心部は台地と低地が複雑に入り組み「台、丘、山」と名のつく高台や「窪、沢、谷」とつく低地がそこかしこ。そのため急な坂が突如出現したり、開発から取り残された細い路地や長屋の面影を残す空間に突き当たる。「橋」とつく地名を行けば、江戸時代の水路を辿ることとなり、かつての「水の都」が眼前に広がるよう。
もちろん、愛好家に限らずここ数年続く「地図ブーム」により、テレビや雑誌でも地形をテーマとしたものが目立つ。中でも、古くからの区画が今なお残り、江戸の痕跡を見てとれる日本橋・京橋界隈はネタの宝庫だ。
始まりの地、日本橋
新しくなったぶよお堂で「地図塾」始まる
日本橋の中央には「日本国道路元標」がある。この場所が江戸時代より五街道の起点であり、現在も日本の道路の起点であることを示すものだ。また今年は、日本橋を起点に近代的測量により初めて地図を完成させた伊能忠敬の没後200年にあたる。
日本の道路の始まりの地で、日本の地図史上意味のある年に、創業1897(明治30)年の老舗「地図専門店ぶよお堂」では、地下店舗の一角で「地図塾」なる集いが静かに始まった。
ぶよお堂は、都内でも珍しい地図の専門店。地図と地図関連製品を常時1万種類以上取り揃える。趣味に実用にとさまざまな目的で全国から客が訪れる、知る人ぞ知る「日本一古い、地図の店」である。
2017年に創業120年を迎えた同店は、今年5月7日情報発信型の店舗としてリニューアルオープン。取り扱い商品の拡充のほか、地方客や仕事帰りに立ち寄るには間に合わないワーカーのリクエストに応え、土日営業を開始。さらに、店内中央に大きなテーブルを設置し、購入希望者が地図を広げて眺めたり、愛好家が座って会話を楽しむことができるスペースを用意した。
小規模ながら人が集まるスペースができたことで、イベントを通じた情報発信することができないか、と同店会長 小島久武さんから「地図塾」のアイデアを日本地図学会に持ちかけたのが2017年の年末。同学会の新企画委員会委員長 太田弘さんが「場所よし、スピーカーよし、聞き手よし」の企画になるだろうと直感し主催を引き受けたことで「地図塾」は始まった。
毎月2回、金曜日の営業終了後と日曜日の午前中に開催され、毎回異なる地図のスペシャリストがゲスト講師として登場。
店内の一角で催されるため参加枠は15名と限られるが、少数だからこそ、講師との双方向なコミュニケーションが生まれる。“地図が好き”という共通点を持った参加者同士のやりとりも活発で、終了後にも話が尽きないという。
なぜいま地図なのか 知るほどハマる地図の世界
手軽さや携帯性で勝る電子地図に押され、紙地図の需要は年々減ってきている。日常的に紙地図に触れる機会の減少が、地理的リテラシーの低下という事態を招いていると指摘する専門家も少なくない。一方で、大型絵地図がベストセラーになったり、読み物として楽しむテーマ性のある地図が人気を集め、従来とは異なる用途の地図の出版も増えている。
「地図塾」では、地図学会会員などの本格的な地図愛好家に参加を呼びかけるとともに、ぶよお堂ホームページなどを通じて、地理や地図に詳しくないが興味はあるという初心者にもアプローチし、地図の楽しさを広めていきたいと考えている。
「地図が好きな方たちが、テーブルの上に広げた紙地図を囲んで自由に語り合う場を提供することで、コミュニティづくりのきっかけになれば」と語るのは、ぶよお堂 営業部 次長の峰村和孝さん。
後ほど詳しくご紹介するが、今回取材させていただいた塾中、峰村さんは講師が話題にした地図や、言及したことを補足できる地図などを、店内の棚や引き出しから迷うことなく取り出してくる。峰村さんの記憶力と並々ならぬ地図愛を目の当たりにして、参加者からは「その姿も地図塾の見どころのひとつ」と声があがっていた。
「2022年からは、教育課程が新しくなり全ての高校生が地理を履修します。これを機に地理や地図への関心が高まり、興味を持つ方が増えてくれると期待しています。初心者の方も大歓迎。地図仲間ができると地図の世界はもっと広がりますよ」
人と同じじゃ「オモロない」!
絵地図を歩く散歩学
5月25日(金)に開催された第4回のタイトルは『絵地図師 高橋美江の散歩学入門(座学編)』。講師の高橋美江さんは、これまで、全国200ヶ所以上の絵地図を制作し、都内だけでも100以上の散歩コースをつくり上げ、自らまち歩きのガイドも行う。「人と同じ表現じゃオモロないじゃん!」をモットーに独自の着眼点でまちの魅力を浮き彫りにする絵地図とその豪快な人柄が人気の「絵地図の第一人者」だ。
高橋さんが提唱する「お散歩民俗学」では、民俗学者の柳田國男が日本人の生活感の根底に流れる「ハレ(非日常)とケ(日常)」という世界観がキモとなる。どういうことかというと、ガイドブックに載るような「ハレ」の部分を見て歩くのが「観光」だとしたら、「ケ」の部分にも目を向けるのが「お散歩民俗学」。そうすることで、街がぐんと多角的に見えてくるのだ。
高橋さん流の京橋まち歩きでは、「ハレ」の場所として、京橋エドグランや警察博物館を中心に巡り、「ケ」の探訪として、裏路地を歩き、江戸時代に迷子の情報交換に使われた石碑を見学し、はては、京橋にある二体の二宮金次郎像の表情の比較をすることもコースに組み込まれる。
高橋さんいわく、まち歩きを楽しくするのは「柔軟な脳みそと好奇心」。先入観を持たず、自分の感性で「おっ?」と思ったことをおもしろがると、視点が切り替わり、ランドマーク的なものばかりでなく、今まで気にも留めなかった景観を見つけたり、毎日歩いていた道を捉え直すことができる。ほんの少しだけ意識すればいいので、ぜひ皆さんも試してほしい。
付加価値を加えることで、まち歩きの楽しさは無限に膨らむ。
まち歩きのガイドの準備のため、一度コースをビジュアル化してシミュレーションするという高橋さん。「開催する季節はいつごろがいいか」「街の有名人に登場してもらうための根回しをしよう」「見学中、靴を脱ぐ場所があるからアナウンスを事前告知しておこう」「この場所の説明をするタイミングはこのへんで」「主婦が多いから上げ膳据え膳のランチができると喜ばれる」「最後のお土産を買う場所はどこが最適か」など、考え尽していく。
ただ観光するだけでなく、まちの日常、「ケ」の部分を観察するのが「お散歩民俗学」の視点だとするならば、参加者の心の機微にまで心を配るのは、「お散歩心理学」とも言えようか。
歩く・見る・食べる・買う、あらゆるポイントに特別感を持たせる。高橋さんのメソッドを取り入れることで、まち歩きの楽しさは無限に膨らんでいきそうだ。
金曜?日曜?あなたはどっち?「地図塾」にいらっしゃい
今回取材した回の参加者は学生時代に地理を学んでいたという方や、仕事で地図に関わってきた方、ただただ地図が好きという方など、参加理由も背景もそれぞれ。「視覚的にわかりやすく、話も堅すぎず易しすぎず面白い」「絵地図や散歩コースに施された工夫を通じて、人に興味をもってもらう方法など、自分の仕事にも役に立つ情報が多かった」「講師の視野の広さに驚いた」などの声があがり、会場アンケートによると満足度・講座の難易度ともに100%という高評価を得た。
「地図塾」は、金曜日の営業終了後と日曜の午前中に毎月一度ずつ開催している。身近で奥深い地図の世界をのぞきに、日本橋の地下にある門戸を叩いてみてはいかがだろう。
<次回開催情報>
第6回 地図塾
テーマ:「地図鑑賞のすすめ」
講師:杉浦貴美子(地図デザイナー、執筆家、写真家)
日時:2018年 6月22日(金) 19時〜21時
定員:15名
参加費:1,000円 (日本地図学会会員は500円)
申込:mapota@keio.jp
上記:Eメールアドレス宛に以下の内容をご記入の上、ご連絡ください
・「地図塾 第6回 杉浦貴美子氏の会の参加希望」と明記。
・氏名、職業、連絡先(携帯電話等)、地図学会会員または非会員の区別。
※希望者多数の場合は、事務局で選考の上、可否をご返信致します。
<イベント詳細>
『地図塾 第4回 絵地図師 高橋美江の散歩学入門(座学編)』
日時:2018年5月25日(金)
場所:ぶよお堂
主催: 日本地図学会
関連サイト
ぶよお堂: http://www.buyodoshop.com/
日本地図学会: http://jcacj.org