創業1931年の日本橋の洋食レストラン「たいめいけん」。その5階に「凧の博物館」があることをご存知でしょうか?
現在のたいめいけんのビルが竣工した4年後の1977年に開館された凧の博物館と凧の魅力について、たいめいけん代表取締役社長で「日本の凧の会」会長でもある、「凧の博物館」館長・茂出木雅章さんに語っていただきました。
●たいめいけんの先代と凧
「凧の博物館には世界中の凧がありますが、“江戸凧”という江戸の終わり頃から作られるようになった凧が数多く展示されています。江戸凧の一番の魅力はなんといっても迫力のある絵。義経や弁慶などの人気の武者絵や達磨などの浮世絵が描かれています。凧絵は空中で目立つことが重要で、凧が高く揚がりすぎてしまうと目立ちません。その点、江戸凧はちょうどいい高さに揚がるようできています。さらに、光をよく透す染料が使われているため、空中でステンドグラスのように美しく映えるんですよ」。
たいめいけんの先代、茂出木心護氏の趣味が凧揚げであったことから、仕事で世界中を飛び回りながら収集した数万枚の凧のコレクションの中から約1,000枚が凧の博物館に展示されています。中には三代に渡って江戸凧絵師であった橋本禎造氏の貴重な作品の数々も。そんな父親の遺志を引き継ぎ、茂出木雅章さんは自らも凧の収集を続けているといいます。
「先代は出歯で痩せてて、怒ると般若みたいに怖い人でしたね。料理のこととなると輪をかけて厳しく、調理場にいて音と匂いだけで、誰が何をしているか分かってしまうんですよ。正月に家族で凧を揚げている時も、凧の糸が切れて飛んで行ってしまったら“おい、あの凧取って来い”なんて言われたりもしました(笑)」。
●江戸から世界へ、日本の凧の魅力
「昔は子供が強く丈夫に育つようにという意味で5月5日のこども日に凧を揚げることが多く、お正月に凧を揚げるのは江戸の風習と言われています。高い建物や電線がなかった江戸時代には、原っぱで子どもも大人も夢中になって凧揚げをしていたそうです。私の好きな凧に奴凧(やっこだこ)という種類があるのですが、“奴”は武家の中でも身分の低い人のことを指します。江戸の庶民たちは大名屋敷よりもずっと高い所に奴凧を揚げて、偉い人たちを凧から見下すことで溜飲を下げていた。それが参勤交代や行商人の手により、江戸のお土産として地方に渡り、その土地で変化を遂げ、日本各地で様々な種類の奴凧が見られるようになったんです」。
茂出木さんが思う凧揚げの魅力はずばり、“風にのせる・風にあわせる・風と格闘する”こと。過去には世界一大きな凧として40m×25m(1,000㎡)の大凧を揚げたり、アメリカとカナダ国境を結ぶレインボーブリッジから800枚もの連凧を飛ばし、ナイアガラの滝に凧のアーチを架けるなど、凧を通じて世界にも目を向けています。
「凧は日本だけではなく世界中に存在していて、海外の凧はソフトカイトといって立体的な形をしているものが多く、それに対して日本の凧は形が平面的で揚げるのが難しい。このように日本独自の伝統文化としての魅力から、凧の博物館にも海外の方が多くいらっしゃいます。今後もここ日本橋から日本の凧の魅力を世界へ伝え続けていきたいと思います」。
老舗洋食屋「たいめいけん」さんが設立した意外な博物館。先代から二代目へと受け継がれる日本の凧の魅力が詰まった「凧の博物館」で、たいめいけんの歴史の一部に触れたような気持になりました。