2018年4月1日、日本で唯一の国立映画機関「国立映画アーカイブ」(中央区京橋3)が誕生しました。
東京国立近代美術館の一部門「フィルムセンター」から改組され、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館と並ぶ、6つめの国立美術館となって独立し、これまでの映画の収集・保存・公開・活用の機能が強化されます。
今回は、「国立映画アーカイブ」が続けてきた映画文化を守り、発信する活動のこと、映画とゆかりが深い京橋の街の魅力について、館長の岡島尚志さんにお話をうかがいました。
京橋と映画との深い関わり
京橋駅から宝町駅へ鍛冶橋通りに沿って歩くとき、東京駅を背にして右側に位置する、三角形のガラス窓が印象的な7階建てのビルが、日本で唯一の国立映画機関「国立映画アーカイブ」です。
もともとこの敷地は、明治期の映画商社、福宝堂が映画館「第一福宝館」を構えた場所。その後は「京橋日活館」、日活本社ビル、と代々映画関連の施設として引き継がれています。
また京橋界隈は、大映、東映、松竹、テアトルなど大手映画会社の本社が多くあった場所でもあり、今も昔も映画と浅からぬ関わりがある街といえるのではないでしょうか。
1947(昭和22)年まで、現在の中央区の南部は、京橋・銀座地区、その東の八丁堀・築地地区、隅田川河口の中洲である石川島・佃島、明治後期以降の埋立地である月島・晴海地区などの区域をもって「京橋区」とされていました。
かつて築地川が流れていた新橋演舞場あたりは、芸者衆が行き来する花柳界として華やぎましたが、時代とともに新派の拠点へと変遷しました。
1962(昭和37)年頃から、東京オリンピックを控え東京の街は急速に変化していきました。日本橋・京橋のあたりは、川が埋め立てられ、その上を這うように高速道路が建設されるなど大きく様変わりしたところでもあります。当時、消えゆく景色を残そうと日本の映画監督たちが様々な景色を映画の中におさめたため、失われた「京橋」の街並みや人々の往来は今でも映画フィルムの中にみることができます。
京橋は日本のマンハッタン!?
──岡島館長は、大学卒業後から39年間、京橋にお勤めですが、この街をどうみてきましたか
京橋は、上品な雰囲気を持つ実直なビジネス街。南は銀座、北は日本橋、西を丸の内と八重洲、東を八丁堀に囲まれ、銀座の華やかさ、日本橋の粋とも違った「本当の下町」の風情があるのではないでしょうか。
昔は八重洲の鍛冶橋換気塔が唯一の高い建造物でしたが、中央通りに「東京スクエアガーデン」と「京橋エドグラン」が建ち、一変しましたね。
もともと品の良い優良企業が集まるエリアでしたが、高いビルが次々と立ち並び見上げるようになり、ちょうどマンハッタンのニューヨーク近代美術館のある地区に似てきたのではとさえ思っています。
国立映画アーカイブのビルも7階ロビーと2階のホワイエからはそれらの高いビルを望むことができます。
余談になりますが、飲食店が安くておいしくてバラエティに富んでいて、京橋のランチは世界一だと私は信じています。
新生「国立映画アーカイブ」 新たなミッション
1970年に京橋の地に移転開館して以来、日本はもちろん世界中の古典的な映画や商業的に上映されにくい作品の紹介、普及活動に力を注ぐ一方、日本映画を主としたフィルムや関連資料の収集・保存・研究を行ってきた国立映画アーカイブ。
発足当時から待望されていた独立を果たし、国内外から大いに期待される中、「映画を残す、映画を活かす。」と新たなミッションを掲げ、京橋の地でスタートを切りました。
京橋の国立映画アーカイブには、スクリーンを備えた2つのホール、映画関連資料展覧のための展示室、図書室があります。ホールでは児童から一般客まで多様な顧客層を対象に、さまざまな特集上映や講演会、ワークショップなどを行っています。
神奈川県相模原市にある分館には、映画フィルムと関連資料が保管されています。1986年と2011年にはそれぞれ当時の世界最高水準を誇る映画保存庫を完成、さらに2014年には、希少なナイトレート・フィルムや重要文化財指定フィルムを保存する体制も整いました。
──このたび国立映画アーカイブとして独立された経緯や意味を教えてください
1970年の開館時には美術館の一部門だったフィルムセンターの独立は発足以来、度々議論されてきましたが、独立機関となるためには、フィルムを保存するための保存庫などのインフラ整備や人材拡充など克服すべき大きなハードルがありました。
2000年代に本格的なデジタル時代を迎えると、デジタル素材を作ったあとのフィルム原版の寄贈が相次ぐなど、急速にフィルムが集まるようになり、文化遺産としての保存・継承を行う役目がいっそう強く求められるようになりました。収蔵量は18年間で3倍に増え、現在では8万本を超えています。
2014年に3つ目の保存庫が完成、2016年には大きなご寄付も決まり、独立のための基盤がようやく整ったという感じです。
独立に至ったのは、時代の流れももちろんですが、映画フィルムが美術品と同等の文化として認められ、国内外問わずもっと活用されてほしいという、多くの映画人の意志と、国立映画アーカイブの意志が一致した結果だと思っています。
「映画を捨てないで!」
最初の映画体験をできる限り再現する
大学卒業後から東京国立近代美術館フィルムセンターの研究員となった岡島館長は、海外で保存・修復し、利活用する「フィルム・アーキビスト」という職業を目の当たりにし衝撃を受けました。
以後、日本のフィルム・アーキビストを牽引しながら、失われゆく日本の映画フィルムを救済する活動を続けています。
海外組織「国際フィルム・アーカイブ連盟(FIAF)」において、創立70周年(2007年)を機に掲げられたスローガン「Don't Throw Film Away」(映画フィルムを捨てないで!)制定にあたって中心的役割を任い、その後2009年から2012年まで、アジア人初のFIAF会長を務めました。
2016年には、無声映画遺産の保存と普及に貢献した研究者や機関を表彰するジャン・ミトリ賞を受賞するなど、海外に向けて日本のフィルムアーカイブの立場を強く示すことができる存在です。
──国立映画アーカイブで、フィルム映画を鑑賞することには、どのような意味がありますか
オリジナルのネガに近いフィルムを高い技術で現像したものを鑑賞することは極上の体験です。
1950年代まで使われていたナイトレート・フィルムは、映画フィルムそのものの価値に重きを置いていなかったこと、素材が不安定であったこと、震災や戦災など、日本では様々な原因でほとんどが失われてしまいました。
それでも現在、奇跡的に残っているフィルムは、いわば映画の国宝のようなものです。
国立映画アーカイブでは、フィルム素材のオリジナル性だけでなく、上映体験もオリジナルに近いものを再現することをミッションとしています。
スクリーン、床の絨毯、売り声まで完璧に再現とまではいきませんが、映画が最初に上映されたときに可能な限り近づけるためにはどういうプレゼンテーションが必要なのかということを常に考えています。
例えば、90年前の無声映画を、適切な映写速度で映写し、当時のままに蘇らせる特別な映写機があります。
本来の速度とは異なるちょこまかした人物の動きは、チャップリンやキートンのような喜劇映画ではむしろ合っていますが、紅涙ふりしぼるような恋愛映画には不釣り合いですよね。
──デジタル映像が氾濫する現在、パソコンやスマートフォンの中の「映画」をみることに、慣れた世代をどのように呼び込むのでしょうか
フィルムの保存というと「後ろ向きのことをやっている」、「古いものを集めている」、と思われているかもしれませんが、私たちには、残されたフィルムを芸術として現代に蘇らせる、後世のために残しておく、というミッションがあります。
若い世代の人で、昔の映画を「なんで色がないの」と言う人がいます。あるいは「色のない映画」として鑑賞すらしないかもしれません。
けれど、そういう人にこそ、高い技術で復元され、プロの映写技師が適切な手段でかけるフィルム上映を、映画好きばかりが集うホールで鑑賞してほしいと思っています。
私は、白黒映画に色をつけることはあってはならないと思っています。
ミロのビーナスや雪舟の水墨画に色を足すような展示があったら、それは芸術への冒涜に他ならないでしょう。
映画保存では、なるべくオリジナルに近い複製物を作ることがとても大切です。
公開当時により近い複製フィルムを作り、最良な状態で保管すれば100年以上の保存も可能で、貴重な文化遺産を後世につないでいくことができます。
黒から白へのグラデーションが素晴らしい、オリジナルに近いフィルムを正しく複製したからこその瑞々しさ、製作当時の監督がOKを出したものに近い状態で目の前に映し出されていることへの感慨など、話せば長くなってしまいますが、上質なフィルム上映の良さや感動は、やはり実際に足を運ばない限り味わえないものです。
──映画ファンが訪れる聖地のように思っていて、敷居が高いように感じていました
どんな人にも気軽にきてほしいと思っています。
とくに、デジタルに目が慣れた若い世代には体験しにきていただきたいです。
上映されている作品は、けっしてマニアックではありません。90年前の無声映画から、アジア・アフリカ・東欧の傑作まで、街の映画館では上映されない、興行にのらないというだけで、みな重要な作品ばかりです。
ここでは、そういったフィルム映画を48年間ずっと上映し続けています。
──最後に、今後の国立映画アーカイブの展望についてお聞かせください
120年に渡って作られてきた日本映画の名作の数々を、できる限り収集し、安全に保管し、記録して、未来のために利活用していく取り組みを続けることはこれまでと変わりません。
今後も、映画文化を芸術としても、歴史的な記録としても蘇らせることがミッションと考えています。
──本日はありがとうございました
4月からは記念企画が盛りだくさん。国立映画アーカイブに行こう!
京橋で48年愛されてきた日本で唯一の映画専門の国立美術館が「国立映画アーカイブ」として生まれ変わりました。
開館を記念して、4月から特別上映や企画展が開催されています。
美しいフィルムでの上映体験にぜひ足をお運びください。
今後は、7階展示室にて、4月17日から「国立映画アーカイブ開館記念 没後20年 旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより」展、長瀬記念ホール OZUにて、4月10日から企画上映第一弾「国立映画アーカイブ開館記念 映画を残す、映画を活かす。」、4月24日から「国立映画アーカイブ開館記念 映画にみる明治の日本」、小ホールにて、5月9日から「国立映画アーカイブ開館記念 アンコール特集」などが企画されている。
国立映画アーカイブは、東京メトロ銀座線京橋駅または都営地下鉄浅草線宝町駅いずれも徒歩1分、東京メトロ有楽町線「銀座一丁目駅」からも徒歩5分とアクセスのよいエリア。上映時間に合わせて、界隈でランチを楽しんでみてはいかがでしょう。