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〈むかしみらい〉東京クロニクル
TOKYO chronicles

|2016.08.11

京橋の街並み、いまむかし

白木屋傳兵衛 6代目 中村梅吉

(左)6代目 中村梅吉さん。  (右)江戸箒の老舗「白木屋傳兵衛」の店内。(撮影・渡辺茂樹) 

「白木屋傳兵衛」は、天保元年(1831)に銀座で創業して、幕末に京橋へ移ってきました。このあたりは「竹河岸(がし)」といって、京橋川の水運で竹の問屋や小売のお店が多くありましたから、そこから竹や箒草も上げられるようにと、今の場所に店を出したんです。それ以来「江戸箒」の専門店として、商売を続けさせていただいています。

名所江戸百景「京橋竹がし」

私の親父の時代、京橋の交差点あたりは全部黒塗りの土蔵造りで、今の川越のような感じだったと聞いてます。造りたての時はずいぶんきれいだったらしいですね。グランドピアノみたいに輝いてた、なんて言う人もいますよ。ようはお金をかけて立派に見せたいということで、白く塗るのではなく黒くしたんだと先輩から伺いましたが、残念ながら、大正12年(1923)の関東大震災で、その町並みはなくなってしまいました。

東亰府下煉化石従商家京橋観之図

郷土史というほどではないけれど、昔からものを調べるのは嫌いじゃなくて、隠居してから10年くらい、江戸東京博物館で展示のボランティアをして、いろいろ勉強させていただきました。たとえば、京橋区役所(現・中央区役所)のあったところが土佐藩の中屋敷だったんです。鍛冶橋に近い桶町には、坂本龍馬が若い時分に通っていた剣術の小千葉道場がありましてね。だから、龍馬がうちの前を通った可能性がある(笑)。まあ、実際にどこを歩いてたかは、特定できませんでしたけど。

うちの店の前を通る人といえば、戦前このあたりは日が暮れるとすごく寂しくてね。カランコロンと下駄の音が聞こえると、必ずうちのお店のお客さんなの。それは覚えています。それから、新富町の見番が東京大空襲で焼け残ったので、戦後は寄席になってたんですが、そこに先代の柳家小さんとか古今亭志ん生が出ていて、地下鉄の駅へ行くのにうちの前を通るんですよ。店の前に縁台なんか出して親父が座ってると、そこで一休みしてから帰っていくのをよく見ました。箒は買ってくれなかったけど(笑)。親父の時代は、いろいろとおもしろいことがあったみたいです。

京橋通り

八重洲界隈は、関東大震災の後で新しくなった地域です。京橋から八重洲にかけてはここ数年で劇的に変わっています。表通りには大きいお店やビルができて、老舗がその中に入ったり、あるいはなくなってしまったり……。一方で裏側には、我々みたいな商人や職人がたくさんいて、庶民的な用品を売っている小さな店も残ってる。東仲通り(京橋美術骨董通り)を歩くと道具屋さんが何軒も並んでますが、落語の『金(きん)明竹(めいちく)』に出てくるのが、だいたいそこのお店。それくらい道具屋さんが多かったんだね。そういった伝統は、京橋の特徴なのかもしれません。

関東大震災や戦争があって、そのたびに京橋は変わってきました。今だってその後の何回目かの変化の時でしょう。昔は町歩きがおもしろいなんて言われたけど、昔はあったのに今はないものがたくさんあるし、変わらずに残ってるものもある。ちょうど今は過渡期のような気がしています。うちの店も幸か不幸か7代目が跡を継いでくれて、先代からのリリーフが済みました。だから京橋の町にしても、古い人に「このへんも変わっちゃったねえ」なんて言われながら、これからの人がまた次の京橋をつくっていくんでしょうね。

INFORMATION

白木屋伝兵衛

住所
中央区京橋3-9-8 白伝ビル1F
電話番号
0120-375-389
営業時間
10:00~19:00
定休日
日祝
Webサイト
http://www.edohouki.com/
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