ビジネスパーソンが忙しなく行き交うオフィスビルのエントランスホールに、新しい感性を宿した新進アーティストの作品をインストールするーー。そんな、アート作品と場所の異質で大胆な掛け合わせを実験的に行い、2021年末に好評を呼んだ現代アート展「Art in Tokyo YNK」の第2回展が、2022年4月18日(月)から開催される。
同展は、京橋を拠点に現代アートを発信するプロジェクト「TOKYO CONTEMPORARY KYOBASHI」と、東京建物が共同で企画するもの。前回に続き、今回も京橋駅直結の大型複合施設・東京スクエアガーデンを舞台に、日本画から染色、ガラスなど、幅広い素材や技法を用いた作品が並ぶ。全出展作家と企画者に、展示の見どころなどを尋ねた。
非日常的な展示の「定着化」を目指して
今回の展覧会を企画した「TOKYO CONTEMPORARY KYOBASHI」は、それぞれ京橋に古くから店を構える画廊の二代目である「四季彩舎」の石井信さんと、「TOMOHIKO YOSHINO GALLERY」の吉野智彦さんが2021年に立ち上げたプロジェクトだ。
京橋は古くから古美術の専門画廊が軒を連ねる「古美術の街」として知られるが、石井さんと吉野さんはその歴史も踏まえつつ、この地域から現代アートを発信し、さらにエリアを活性化できないかと、このプロジェクトを開始した。「Art in Tokyo YNK」は、こうしたエリアへの想いに地域企業の東京建物が共感したことで生まれた実験的な展示だ。
2021年11月に開催され、本サイトでもレポートしたその第1回展には、9名の作り手が参加。ジャンル的にも、重厚な彫刻から日本画の技法を土台にした絵画、レザーのレリーフまで多様な作品群が並び、オフィスビルのエントランスに異質な風景が出現した。
そんな初回の手応えについて、石井さんは、「自分の店の就業前と終業後にふと会場を覗いてみると、立ち止まって作品を眺めているビジネスパーソンの方が結構いらっしゃって嬉しかったですね」と振り返る。この感触は東京建物とも共有され、「継続することで今後につながるものがある」との共通認識から、早くも第2回が開催される運びとなった。
前回との違いについては、初回ということもあり、泉東臣、yuta okuda、瀬戸優などすでに一定の評価を得ている作家を集め、「“魅せる”展示を目指した」(吉野さん)という前回に比べて、今回は「これから」の活躍が期待される新しい作家をより多く選んだと語る。さらに、「ものづくりの街として知られる京橋の特色を生かそうと、伝統技法を用いる作家を意識的に選んでいる点も、今回の展示の特徴」と吉野さんは言う。
作家にとっても、ギャラリーのように「作品を観る」という前提がない観客を相手にしなければならないオフィスビルでの展示は、普段とは異なるプレゼンテーションやコミュニケーション能力が求められる、難しい場だ。そうした挑戦の場に臨む作家たちに、今回は出品予定の作品を事前に画像で見せてもらい、リモートで制作への思いを聞いた。
心のモヤモヤを独自のモンスターに託す
ガラス造形作家の三平硝子は、普段より、卓上に専用のバーナーを設置してガラスを加工していく「バーナーワーク」と呼ばれる技法で制作を行なっている。耐久性に優れた強化ガラスの一種「ボロシリケイトガラス」で作られた、小さく、一見可愛らしいオブジェの正体は、じつは「モンスター」。三平自身のコンプレックスや、不思議な他者と向き合ったときに感じた感情や感覚を、いわば「擬獣化」したものだという。
面白いのは、オブジェに施された仕掛けだ。たとえば、《ときばかり》という作品では、モンスター型のガラス管のなかに赤色と透明の二種類の液体が入っている。横に倒すと、透明な方はドロドロ遅く進み、赤の方はサラサラ早く進む。これは、三平の考える「時の概念」を示したものだという。
「例えば教室で同じ時間を過ごしても、生徒それぞれの成長の度合いが異なるように、時間の進み方は人によって異なる。僕は自分の時間の進み方にコンプレックスがあって、その時間への思いをこの作品ではモンスターにしました」。
別の作品《えこえご》では、制作に伴うゴミ問題への違和感を形にした。モンスターの透明な内部に詰めたのは、ガラスの端材。制作という自分のエゴから大量のゴミが出ることへの環境面の問題意識に、ゴミを作品に昇華することで応えた。自身の違和感にひとつずつ丁寧に向き合って生まれたモンスター群には、小さいながら大きな思いが詰まっている。
日本画にルーツを持つ小林繭乃が描くのも、異形の怪物たちだ。
墨で描かれたその群れは、どこか、古い屏風絵の雲を思わせるような構図で、漂いながら画面を埋め尽くしている。驚くのは、その密集度や細かさにもかかわらず、小林がこうした画面を下書きもせず、即興的に描くということ。「日々のなかで感じるモヤモヤやネガティブな感情、言葉にしがたい喜びや怒りの気持ちを絵にぶつけています」と語る。
もともと日本画を学んだ大学時代には、憧れの対象でもあった犬のボルゾイを、より古典的な作風で描いていた。同時に、幼い頃から想像上の生き物を描くことが好きで、アメリカのアニメ「ザ・シンプソンズ」などにも触れてきた。小林の描く怪物たちには、そうしたこれまで摂取してきた文化や、大切にする自身の領域が複雑に織り込まれている。確かによく見ると、普通の動物から空想の生き物まで、登場するキャラクターは多様だ。
墨一色でそうした絵を描くうえでは、画面が短調になったり、逆にカオスになり過ぎたりしないように、墨の濃淡やモチーフの遠近を細かく工夫しているとも語る。背景の霧や雲のような表現は、胡粉と箔を重ねた下地の上から、水干絵具で描いたものだ。雑多にうごめく怪物たちに託された作家の日々の思いを、これまで磨いてきた確かな技術が支えている。
モノが持つ力を通じて、それぞれのビジョンを語る
ayaka nakamuraは、これまでアメリカやデンマーク、中国などに滞在しながら、現地で見える風景や命の存在を描いてきた。こう聞くと、オーソドックスな風景画を想像するが、その絵画は抽象的で、決してひとつの形の定まらない流動感に溢れた魅力がある。
こうした作風は、「風景とは、さまざまな命や存在が関わった“一瞬”としていつも目の前にある」という、独自の風景観を反映したものだ。初めは具象的に描いていたが、目に見えるものを超えた存在や時間も含む場の雰囲気を描きたいと、いまの作風に辿り着いた。
数年前までは、手書きのアニメーションを制作していたという。その絵画に感じる水や光の流れのような空気感は、映像技術や時間芸術への関心の延長上にある。絵画へと移行するきっかけとなったエピソードも興味深い。「手書きでアニメを描いていたのですが、あるときこのデータは指一本で消えてしまうのだと気がついて。そこからより物体的な制作に関心が生まれ、人とモノの間でいろんな現象が起こる絵画に向かいました」。
デジタルや動画全盛の時代に、あえて触れられるモノのなかに、風景の生命感を落とし込んでいく。それもまた、現代の作り手のリアリティなのかもしれないと感じさせる。
谷敷謙も、伝統的な技法のなかに、現代的な感覚を盛り込もうとしている作り手だ。
谷敷が使うのは、土台の上に切れ込みを入れ、そこに布地を貼り付ける「木目込み」と呼ばれる技法だ。もとは京都・上賀茂神社の宮大工が発明したものと言い、現在では雛人形に多用される技法として知られる。谷敷は、個人の物語が染み込んだ古着とこの技法を組み合わせ、「人の存在の証明」や「伝統技法に込められた生命への祈り」を表現してきた。
小さい頃から、母の縫い物キットを使って遊ぶ子供だった。服飾学校時代はイッセイミヤケに憧れたが、現代は一からのものづくりもさることながら、既存のモノの再利用が重要と考え、余ったタオルで木目込みの制作を開始。古着を使い始めたきっかけは、長女が誕生後に手術を余儀なくされたことだ。無事成功したが、時が経つにつれ当時の喜びが薄れていくと感じ、長女の古着を使って制作をした。「古着には記憶を想起させる力がある」と語る。
今回の出品作では、ある有名スケーターの姿を作品にしている。きっかけは、コロナ禍のなかで「障害」について考えていたこと。目の前の困難に人はどう向き合うことができるのか。答えを探すなか、「自分の答えに一番近いと感じたのが、怪我を恐れず、目の前の環境と身体で対話するスケーターの姿だった」。セクションと呼ばれる障害物を越えるスケーターの姿を、古着で表現することで、いま必要な困難に対峙する力を表現した。
同じテキスタイルの領域で活動しながら、まったく違う表現を見せるのが、染色造形アーティストで手書きデザイナーのあおきさとこだ。あおきはいままで、人の匂いや感情、風の動きなどの目には見えないが重要な意味を持つ存在をモチーフに、染色や、和紙の筒を用いて生地に模様を描く「筒描き」と呼ばれる伝統技法を使って制作を行ってきた。
今回、あおきはそうした技法も使いつつ、コロナ中に自身で編み出した「シルクレジン」という、より挑戦的な技法の作品を発表する。アクリルボックスに収まるのは、自身で染めた絹。幾重もの襞を持つそれは一見柔らかそうだが、じつは風で舞ったような生地の美しい一瞬の表情を、樹脂でガチガチに固めている。「いわば絹の剥製です」とあおき。
そこには、近年、衰退が報じられる絹産業の価値を提示したいとの思いもある。「最近は染色前の真っ白な絹を入手することすら難しくて。やがて無くなってしまうかもしれないという問題意識から、それを残したいと思ったんです」。美術品としては平面的なものの方が扱いやすいと画廊主などからは言われたが、もともと皺や襞こそ生地の魅力で、それを固定化したいと考えてきた。出品作では砂時計をモチーフに、形を作っている。
「最近は、コロナや戦争などで不可視の存在に恐怖を感じることも多い。でも、風のように、見えなくても優しく癒される存在もある。そんなことを作品から感じてもらえたら」。
絵画という、自分の大事な領域で
Morita Manabu by WOODもまた、面白い動きを見せるアーティストだ。いとこの持っていた雑誌がきっかけで、中学時代からグラフィティやライブペインティング、ダンスなどのストリートカルチャーに傾倒。実際に壁画を描いたり、NIKEなどの企業と協働も行うなど早くから活躍してきた。しかし、壁画では、公共空間に置かれるうえで他者が良いと思うものを作らないといけないことに違和感があり、一時は絵を辞めることも考えていた。
そうしたなか、あるギャラリーの展示への参加を機に、2019年よりキャンバスでの制作を開始。他者の評価を気にせず自由に描けるこのフィールドが、見事にハマった。
絵に頻繁に登場するVRゴーグルを装着したAIは、「未来くん」というオリジナルのキャラクターだ。出品する「ノイズ」シリーズでは、「手軽で身近な素材」と語るペンキを塗った背景に、マーカーでAIの姿を描く。どこか激しい感情の起伏を感じさせる背景と、クールでグラフィカルな線の動きの対比が魅力的な画面が生まれている。
「AIを通して描きたいのは、人間の喜怒哀楽。夏目漱石が、『吾輩は猫である』で猫を通して人間を描いたように、異なる存在を通すことで見えてくる感情があると思う」と語る。
このMoritaも含め、今回話を聞いた作家たちからは、たびたび「モヤモヤ」や「デジタル技術には還元できない人の感情」に関する言葉が聞かれた。もちろん、ある傾向を持つ作家がこの展示には多かったとも言えるが、共通点として興味深かった。出品作家で唯一の現役美大生である飯島秀彦が描く絵画にも、そうした個人の内面的な領域への関心が感じられる。
大学ではデザインを専攻し、パソコンでグラフィックを制作しているという飯島。そんな彼がまたひとつのフィールドである絵画で描くのは、どの家庭にもありそうな動物のぬいぐるみだ。そのモチーフについて飯島は、「自分は感情的な部分があって、あとから後悔するような言動をしてしまうことも多いんです。でも、そうした部分も自分だと受け止めて向き合いたいという思いがある」と語る。そんなとき選んだのが、人が幼き日々の感情をぶつける相手として親密な関係を築く、ぬいぐるみという存在だった。
面白いのは、まったく質感の違う描き方が大胆に同居している点だろう。ぬいぐるみの胴体にはペンによる細密画的な表現が、一方で顔には格子やマーブルなどのパターン化された表現が見られる。鮮やかなモノクロームの背景と後者のパターンの組み合わせには、どこか飯島が普段学んでいるグラフィックの手つきも感じるが、本人としては、「そのときどきに自分が感じる、気持ちのいい色やパターンを描いている」のだという。
もともと絵を描くのは好きだったが、絵画を本格的に始めたきっかけには、デザインの制作で求められる「人のために作る」あり方への違和感もあったようだ。今後は、画家として活動する道を模索していきたいという。「基本的には自分の感情をもとに制作している主観的な作品だが、そこに人が何となくでも共感を覚えてくれたら嬉しい」と飯島。これからどのような活躍を見せていくのか、その動向や変化が楽しみな作家の一人だ。
情報化できない価値に出会い直す場所
普段は多くの人が何気なく通り過ぎているオフィスビルのエントランスに、一見異質な現代アート展を挿入する「Art in Tokyo YNK」。企画者の石井さんと吉野さんは、「これからも定期的に続けて、無いことが寂しく感じるようなイベントにしていけたら」と話す。
実際、そうしたイベントに成長する可能性は、現時点でも少なくないように感じる。ギャラリーならたった一回の鑑賞で何気なく終わってしまう作品も、こうして公共空間に置かれていると、毎日の通勤のたびに繰り返し見ることで、少しずつ見え方が変わっていくこともあるかもしれない。さらには作品が、オフィスの会議室や通路に入り込んでいくかもしれない。このイベントには、そんなさまざまな広がり方があり得る。
今後の課題やビジョンとして、吉野さんは、会場である東京スクエアガーデンとの関わりの強化を挙げる。「たとえば、東京スクエアガーデンの内部やそこから見える景色を作品の中に取り込んだりしてもいい。すると、場所との関係がまたひとつ深まりますよね」。他方で石井さんは、「この会場の会期に合わせ、周囲の画廊も企画を行うなどして、エリアの面的な展開が生まれても面白い」と話す。この場は、ギャラリストたちにとっても刺激的な実験の機会になっているようだ。
ふと、作品の前で立ち止まり、その場でいつもとは違う何かを思考する。そんな偶発的な展開が、誰にも等しく流れている時間をも興味深く展開させるとしたら、個々の作品の魅力はもちろんのこと、今回の作家たちがまるで示し合わしたように話した、「人の心や感情の言葉にしがたい不思議さ」や「対峙しないとわからないモノの魅力」がそこにあるからだろう。それは言い換えれば、情報化できない価値を味わい直す場でもあるのだ。
「Art in Tokyo YNK」の試みに、これからも注目していきたい。
関連サイト
TOKYO CONTEMPORARY KYOBASHI(@kyobashicontemporary)
四季彩舎
TOMOHIKO YOSHINO GALLERY
Monster:モンスター 小林繭乃×三平硝子
執筆:杉原環樹