地下鉄駅に直結した、京橋のランドマーク的な大型複合施設・東京スクエアガーデン。階上のオフィスで働くビジネスパーソンをはじめ、絶えず人が行き来するその明るく広々とした1階エントランスに、2021年11月11日から30日まで、普段と異なる光景が出現した。
登場したのは、巨大な絵画や革で作った珍しいレリーフ作品、重量感のある彫刻まで、気鋭のアーティスト9名による作品群。京橋から現代アートを発信しようと、若手ギャラリストたちが今年立ち上げたプロジェクト「TOKYO CONTEMPORARY KYOBASHI」と、東京建物が共同で開催した現代アート展「Art in Tokyo YNK」の光景だ。
ビジネス街のど真ん中に、現代アートをインストールする今回の試み。企画の狙い、出品者の思いなどを、会場で取材した。
オフィス街で、アートを見ない人との偶然の出会いを
京橋は、専門ギャラリーが多く集積する日本有数の古美術の街として知られる。一方、近年では、2020年にブリヂストン美術館から改称、リニューアルを行なったアーティゾン美術館が意欲的な展覧会を企画するなど、現代的なアートの新風も吹き始めている。
本サイトの「美を愉しむ」のコーナーでも取材した「TOKYO CONTEMPORARY KYOBASHI」は、そんな時勢とも軌を一にして2021年にスタートした、京橋から現代アートを発信するプロジェクト。設立者は、ともに京橋の老舗画廊の二代目である「四季彩舎」の石井信さんと、「TOMOHIKO YOSHINO GALLERY」の吉野智彦さんだ。二人は古美術街のイメージも活かしながら、企画展の開催やアートフェアへの出展を積極的に行い、京橋の再活性化も図ってきた。今回の展示は、そうした取り組みに、地域企業のひとつである東京建物が共感したことにより実現した。
では、なぜオフィスビルの、しかもエントランスなのか。ギャラリーは多いとはいえ、付近で働くビジネスパーソンとアートの距離はそれほど近いとは言えない。その理由には、多くのギャラリーが2階以上に店を構えていることのほか、そもそも展示を訪れる習慣やきっかけがないことも考えられるだろう。そうしたなか今回、偶発的に人の目に触れやすい場での展示で「普段アートを見ない人との出会いを狙った」と石井さんは話す。
一方で吉野さんは、「美術関係の施設は多いですが、ジャンルを超えた交流は少ない」という背景にも言及。「本来は、そこをよりネットワーク化したいんです。とくに古美術は敷居が高いですが、現代アートを入り口に幅広い美術を知ってもらいたいなと」。日本画などの伝統的な技法を生かした現代的な作品は、石井さんと吉野さんがとくに力を入れて紹介している分野だ。実際、今回の展示でもそうした作品は多く並んでいた。
幼少期、日本画、キャラクター…….それぞれの出自を生かした作品群
鍛冶橋通り沿いの入り口からエントランスに入ると、真っ先に目に入るのがタカハシマホさんの絵画作品だ。タカハシさんは、作家活動を始めるにあたり、自分の核となるものを自身の幼少期に見出し、それを「あの子」というキャラクターにした。
「制作を続けるうち、幼少期の体験はどんな国や地域の人にもあると感じて、『あの子』の姿はどんどん単純化、普遍化していきました」とタカハシさん。今回の展示作品にも見られるように、画面に日本画にも通じる金箔を使うことも多いが、ここにも、古くより使われていた技法を通して、絵に時代を超えた価値を与えたいとの思いがある。
一方、ある絵では『あの子』の姿が歪んでいる。この表現には、テレビなどのモニター越しに日本画を見るような、「デジタル・ネイティブ」としての感覚を投影した。「アートを見るうえで大事なのは、共感性。幼少期の記憶は誰もが持っている共通の土台で、生きる糧になるもの。絵を見て、それを思い出してもらえたら」とタカハシさんは話す。
こうした日本画とのつながりや、日本画を土台とした表現は、その横に並ぶ泉東臣さんや志水堅二さんにも続いていく。
自然の持つ有機的で不規則な形態の魅力を、あえてシンプルな形に落とし込むことにより引き立たせた作品で人気を誇る泉さんは、今回、近年注目を集めるブロックチェーン技術にも着想を得たという作品を発表した。壁面を飾るのは、ハニカム構造のような連続する六角形の画面の数々。中心を持たず、拡散的で、画面が増えるごとに互いに支え合いながら強度を増していくシリーズの構造は、この新しいテクノロジーのあり方を想起させる。
ザラザラとしたテクチャーを伴って描かれた白い樹木の風景の奥には、発色の良い赤や青で幾何学的な模様が。時代性と堅実な技術を組み合わせ、装飾性の高い画面が生まれた。
これに対し志水さんは、ブリキの鳥をモチーフとした自身のキャラクター「ブリトニー」を描いた、「阿吽」の如く対となる二枚の絵画を出品する。学生時代に油絵とデザインと日本画を学んだ異色の出自を持ち、日本のキャラクター文化とアートの関係についても長年思いを巡らせてきた志水さんは、以前は枯れた花や古道具を描いていたが、あるとき古いブリキの鳥に生命力を感じ、以後、それをモチーフの軸に作品を作り続けてきた。
こだわっているのは、「キャラクターが作者の存在を離れ、その名前が一人歩きしていくような状態」(志水さん)だという。ブリトニーの登場は一貫しつつも、さまざまな方法論や表現で作品にしてきた。今回展示する二つの作品は「MANGA」シリーズと呼ばれるもので、日本の漫画に特有のスクリーントーンの表現を日本画的な技法で表現した。
レザーカービングからチェコの風景、夜景まで。個性派が並ぶ
ここまでと大きく趣向を変えるのが、山東大記さんの油絵だ。千葉県いすみ市大原で伊勢海老漁を営みながら作家活動をしている山東さんは、地元で絵を描くチェコ人の男性と知り合ったことで、チェコを訪問。現地で見た風景や人物の印象を詩的な作品に仕上げた。
そのうちの一作では、山東さんとそのチェコ人男性が、ともに地元でよく見かけるという話で盛り上がった、白鳥を描く。くすんだ地色に、白、赤、黒の配色が印象的な色彩は、チェコで見た古い建物などから刺激を受けた。「その建物は古いものですが、日本の僕らからするととても新しい感覚を与えてくれるんです」と山東さん。
ほかにも、地元のベテラン漁師を描いた作品や、チェコのカフェで見かけて惹かれた女性をモデルに、赤髪の女性を伸びやかな線で描いた大作も出品した。どこか象徴的な雰囲気を漂わせながらも、山東さんの絵はつねにリアルな体験から出発している。
つづくスズキシノブさんは、革の彫刻であるレザーカービングを出展する。もともと革の彫刻を制作していたスズキさんは、次第に財布や鞄などの実用品の製作へ。だが、2020年春に革の表現をさらに探求したいと考え、ふたたびレザーカービングを作り始めた。
革の上に模様を描き、ナイフで簡単な切れ目を入れた後、ハンマーと細い鉄の刻印でそれを叩くことで陰影を出し、表現するレザーカービング。スズキさんが描くのは、財布などにもよく施される唐草模様を独自に進化させたモチーフや、ストリートカルチャーからの影響を感じさせる可愛らしいキャラクターだ。登場人物たちの造形は、昔から好きだったと語るベルギーの漫画『タンタンの冒険』などにも通じるようで、どこか懐かしい。
「普通の絵画では経年変化は良しとされないが、展示環境によって独特の風合いが出てくるのも革製の作品の魅力。今後も独自の表現を発信していきたい」とスズキさんは話す。
一方、橘川裕輔さんは、一貫して夜の光景を描き続けているアーティスト。今回は、異なる夜の風景を一枚の画面に共存させる「Face」シリーズの一作を展示した。描かれているのは、渋谷の街を真上から捉えた場面だが、その一部が破れ、ネオンが覗いている。遠目から見ると、まるで写真のようにも見える、写実的な筆致が印象的だ。
はじめは何気なく夜の光景を描いたところ、飽きやすい自身のなかでしっくり来るものを感じたという橘川さん。作品を重ねるうち、「『夜景』と言われるなかにも、じつはいろんな切り取り方、表情があるのだと気づき、それを探求しようと思いました」と話す。
今回の作品では、一見、空から平面的に捉えられた渋谷に、よく見るとさまざまな奥行きやレイヤーがあることが感じられて面白い。さらにそこに、「HIGHER」「DEEPER」などの高低差を意識させるネオンの光景が重なることで、視線はより複雑化する。都市で働く人々にも届きやすいモチーフを描いた絵画には、「見る楽しみ」が感じられた。
情報偏重の時代に、実際の作品を前にすることの重要性
白と黒の間の豊かな階調を通してモノクロームの鮮やかさを探求する「Colourful Black」のコンセプトなどで知られるyuta okudaさんは、コロナ禍に始めた「with gratitude」という新シリーズを展示した。驚くのは、従来の作品イメージを更新するカラフルな画面だ。
すべての作り手に「どのように活動するか」を問う出来事となったコロナ禍。そうした状況のなか、okudaさんは「すごく前向きに制作できた」と話す。「外出や人との対面が難しいなか、当たり前のように感じていたものの特別さに気づき、感謝の気持ちが湧いて、前向きになれた。自分がいま描いて伝えるべきなのは、その感謝だと思いました」。大胆な色彩と細密な線で描いたのは、そうした世界への「感謝」としての花々だ。
実際の色数よりもカラフルに感じられる画面には、これまでのシリーズで培ってきたグラデーションの技法を応用した。オフィス街の展示については、「感謝がテーマなので、人に見てもらわないと始まらない。作品がふと目に入ったら、自分はなぜその花や色に惹かれたのか、普段は振り返らない自分の感性を見直す機会にしてもらえたら」と語る。
多くの作品が並ぶエントランスを外に出ると、正面のガラス越しに見えるのが板垣夏樹さんによる幅5メートルほどの巨大な絵画だ。日本画の技法をベースに、幻想的な動物が登場する物語性や神話性の強い作品を制作してきた板垣さん。今回は、神聖な雰囲気が漂う3匹の架空の犬が駆ける姿を描いた。
絵を描くこと以外に、もともと物語が好きで絵本も作ってきた。その物語への想いを、ふたたび自身の絵画に導入することで、今の作風にたどり着いた。今回の絵画の背景に装飾的に描いたのは、一日のなかで時間の経過により色を変えるスイフヨウの花で、夜から朝に向けて走る犬たちの姿に「希望に向かいたい」という自身の思いを重ねている。
犬たちの造形には、髪の毛のような立て髪や優しい表情など、鑑賞者が感情移入できる工夫も施している。3匹の群れはどこか家族のようだ。ビルとビルの狭間、多くの人が行き交う通路に掲げられた幻想的な絵画は、忙しい通行人をふともうひとつの世界に誘う。
そして、その横で存在感を放っているのが、科学的な観察に基づいてリアルサイズの動物像を作ってきた瀬戸優さんの、水の上を歩く黒豹の立体作品だ。大学の卒業制作でもある同作は、これまで制作してきたなかでもとくに大きな作品のひとつだという。
作品の構想は、場面から考えることが多いそうだ。出品作の場合、最初に水に月が映る情景を浮かべ、その舞台にふさわしい動物として黒豹を選んだ。立体だが発想は絵画的で、動物そのものというより、それを囲む「場」を見せている点も面白い。素材にテラコッタを選んだのは、粘土を重ねていくそのプロセスが、体内に骨格を持つ内骨格系の生物を作るのに適しているからで、発想をすぐ形にできるスピード感も自身に向いていると話す。
作家の手の豊かな痕跡が感じられるのも、この素材の魅力だ。そして、その重量感は実物を前にしてこそ体感できる。オフィス街で展示する意義については、「近年はアートに関心を持つ方も増え、デジタル上の売買などアートの知識や環境は増えていますが、僕のような作品は生でこそ感じられるものも多い。とにかく情報が溢れ、実態が伴わない価値が重宝されるなか、実体験が重要というのはビジネスの世界にも共通するのでは」と話す。
瀬戸さんが言うように、ビジネスパーソンの教養としてアートが語られる一方、そうした人たちが現代を生きるアーティストの実際の作品に対面する機会は、それほど多いとは言えないだろう。そうしたなか、日本有数のビジネス街において、偶発的にその場を作り上げる今回の取り組みは、ひとつの実験として興味深いものだった。そして、そうした実験が行われる街であることは、京橋の豊かさを示すひとつの証とも言える。
期間中、出勤や帰宅、外出の際にこの場を通った人たちは、突如現れたアーティストの作品に何を感じたのだろうか。横目に通り過ぎた人も、なぜか立ち止まって見入った人もいたかもしれない。その出会いの一つひとつが、次の何かにつながっていくのだろう。
関連サイト
TOKYO CONTEMPORARY KYOBASHI(@kyobashicontemporary): https://www.instagram.com/kyobashicontemporary/
四季彩舎: https://www.shikisaisha.com
TOMOHIKO YOSHINO GALLERY : https://www.tomohikoyoshinogallery.com
執筆:杉原環樹、撮影:森カズシゲ