1階から3階までが植物でびっしり覆われた、とある大型ビル。その植物と街路樹には、エリア最大級となる17万球のイルミネーション。そして地下の駅前広場には、大きなクリスマスツリー。
京橋駅直結の複合施設、東京スクエアガーデン(中央区京橋)では、今冬もそんな幻想的な光景が見られる。とりわけそのシンボルとなるクリスマスツリーは、今年は他ではなかなか見られないものとなっている。飾られているオーナメントにはなんと廃棄物が再利用され、そこにはペットボトルや文房具など、同ビルから出た廃棄物も使われているのだ。
オーナメントを制作したのは、捨てられた廃棄物を素材にしてアート作品を創作する「再生アーティスト」のいなずみくみこさん。いなずみさんが本格的に制作を始めたのは、実は還暦になってからのこと。ただ、幼い頃からゴミの分別には関心があったと言う。
自然と“モノが捨てられない”子供となった
いなずみさんは、自身の子供時代をこうふりかえる。
「母が、妹の子育てに忙しく、ゴミの分別とかまできちんと手が回らなかったんです。だから私が分別し直したり、新聞紙をきちんと束ねたりしていて。もし母親がきちんとやれていたら、私はそこに関心を持たなかったかもしれません」
自然といなずみさんの身の回りには、美しいガラスの空き瓶や小石、壊れたおもちゃのパーツなど、捨てられない不用品が溜まっていった。そしてもう一つ、少女・いなずみが興味を持ったものがある。「絵」だ。
「手塚治虫先生のマンガ『リボンの騎士』の世界に、衝撃を受けたんです。それで自分も漫画家になろうと、絵を描き始めました」
その後、“ストーリーを考えられない”と漫画家の道はあきらめるが、いなずみさんの絵を見た高校の美術教師に勧められ、武蔵野美術大学の造形学部芸能デザイン学科に入学する。
「ただ、舞台芸術やディスプレーのデザインをする学科だったので、自分の作品を作って展示するようなことはありませんでした」
卒業後は、いくつかの企業でイラストレーターやデザイナーを務めた後、フリーのイラストレーターとなった。それと並行し、子供たちに絵画や工作を教える活動を始める。
「私の工夫次第で、子供たちにすばらしい創作体験を与えられる。これはすごく自分に向いている仕事だなと思いました」
1993年には、自身の造形教室を創設。教室は多くの生徒たちに支持され、のべ20年にわたり続いたが、2013年、母の体調不良で教室を閉じることに。そんなさなかに思いがけず訪れたのが、自身の作品を創作するという、人生の新しいタームだった。
「美大時代の同級生に、還暦を記念してみんなで作品展をやろうと誘われたんです。『でも作品がない』と返すと、『じゃあ作ればいいじゃない』と。それで、作品を作ってみることになったんです」
急加速したアーティストとしての人生
では、題材は何にするか。さまざまな選択肢を考えたものの、最終的にいなずみさんの心をとらえたのは、自分の手元にあった廃棄物だった。
「造形教室でも、廃材が廃材以上のものになることを体感してもらおうとガラクタを使った工作を教えていましたが、お金をいただいている教室でチープな廃材を使うことに少し負い目もあったりして、目的を十分に遂げたとはいえませんでした。それなら、今度は自分で作品を作って、廃棄物に価値を与えてあげようと」
こうしていなずみさんの初作品となったのが、ハンバーガーショップで廃棄されていたのを譲り受けた赤いメニューボードなどに、貯めてきた廃材を飾り、ラッカースプレーを施した『再生 実り』『再生 煌き』だ。その作品には、役目を終えたモノたちの死の静寂とともに、人の営みのにぎやかさがあった。美術品としての美しさと同時に、人の生から切り離せない緊迫感や悲しみがあった。
再生アーティスト・いなずみくみことしての新たな人生は、ここから一気に加速する。
初作品を見た人に誘われ、続いて国立新美術館で開催の「2015汎美展」に初出展。その後、札幌の「リサイクルアート展2015」に応募し、優秀賞を受賞。そして翌年、4週間に及ぶ初の個展を、赤坂のギャラリー「+PLUS」で開催。2018年には、パリで開催された「DISCOVER THE ONE JAPANESE ART 2018 in PARIS」に出展した作品が、127点の展示作品の中から「人気アーティスト賞」に輝いた。
以降もいなずみさんは、汎美術協会会員として定期的に展示を行いながら、精力的にアーティスト活動を展開している。こうしたアーティストとしての活躍を見ると、こんな疑問が頭をもたげる。なぜ還暦になるまで、自分の作品を作らなかったのか。それに対して彼女の口からは、意外な言葉が発せられた。
アートの力を自分が一番信じていなかった
「以前はデザインをしたり、イラストを描いたりという職業柄もあって、作品で伝えたいコンセプトは、きちんと言葉で語らないと伝わらないと考えていました。それもあって、私はおしゃべりなんです(笑)。でも再生アートを展示してみたら、見た人から『これは●●を表しているんですよね』とか『■■と考えたんですよね』と言われたりして……。私が一言も発していないのに、伝えたいことがきちんと伝わっていたのです。ビックリしました。
今思えば、自分がアートの力を一番信じていなかったのかもしれません。言葉がなくても伝わる世界が、ちゃんとそこにあったんです」
あらためて、アートの力とはなんだろう。それを今、老若男女に向けてわかりやすく提示してくれている存在こそが、いなずみさんなのかもしれない。
去る’22年9月、いなずみさんは東京スクエアガーデンのクリスマスツリーのオーナメントを廃材で作る小学生向けワークショップに、講師として参加した。
「子供さんだけでなく保護者の方も含めたみなさんが、あまりに楽しそうに作業してくださるので、驚きました」
ワークショップでは、いなずみさんが用意した各種廃材を、参加者が好きなだけ各自のお皿に取り分けて使える“廃棄物バイキング”の形式を採った。参加者はそれを使ってオーナメントを制作し、余った廃材は捨てずに元の場所へ戻すルールとした。
「もし廃材を全部ごちゃ混ぜにして置いたら、『汚い……』と使う気にならないでしょう。でも、それを色別やモノ別に分けてディスプレーすることで、『きれい』『使いたい』となる。ちょっとした見せ方で、気持ちが180度変わるところが面白いなと」
もう一つ、アートの力をひもとくカギとなるエピソードがある。それは、廃材の出自についての話だ。いなずみさんは以前よく、作品で使う廃材を、産業廃棄物の中間処理業者からグラム単位で買っていた。
「私が気に入って買った産業廃棄物は、一度も使われていないものがほとんどで、見た目はピカピカで美しい。でも作品の材料としては、美しすぎて魅力に欠けるんです」
人の日常とアートの波間をたゆたい続ける
いなずみさんは、こう続ける。
「反対に、友人からもらったパッククロージャー(食パンの袋を閉じる留め具)の束とか、書けなくなったペンとか、ピースが欠けたジグソーパズルは、誰かが使っていたことがありありとイメージできる。そうした人間臭さや、『これはきっと誰かがこんなふうに使っていたんだろうな』といった物語を感じられるところに、私の再生アート作品の深みや面白みがあると思うんです」
それを体現する作品の一つが、『Mの記憶 時の名残り』だ。
「これはうちの斜め向かいに住んでいた大工のおじさま“まあ爺”が亡くなった時に、家族はなく、残された品々をすべて捨てると聞いて譲り受けたモノを、もう会えないおじさまへの感謝の気持ちを込めて作品にしました。残されたモノたちが海の底に沈み、時間とともに美しく浄化されていく情景をイメージしています」
ゴミとひとくちにいっても、愛着のわくモノとわかないモノがある。また、ある人にとってはいらないモノであっても、ある人には大切なモノになる。それは、モノの中にどんな文脈や物語があるかで決まる。アートとは、そうした文脈や物語、言い換えれば「魂」によって、人の心を動かすことかもしれない。
そしていなずみさんは身近なゴミを素材とすることで、アートを多くの人が体感しやすい形に変換し、提示し続けているともいえる。
「もういらなくなったからといって、なんでもポイポイ捨てる時代は終わっています。もしそれを続けたら、私たちの地球が本当にダメになってしまう。だからこそ、『人が捨てたもの』であっても『大切なもの』になり得ることを、私の再生アートの作品を見て一人でも多くの人に体感していただければなと」
いなずみさんの作品の一つに、世界の果てに住む架空の魚「果て(ハテ)」という着ぐるみアートがある。彼女自身が「果て」の中に入り、時おり美術館の展示作品の前をゆらゆら回遊する。「果て」を見た人に、この愛らしい生物を守るためにも、海洋汚染を止めなくてはと思ってもらえたらと願って。
この先もいなずみさんは、まさに「果て」のように、人の日常とアートの波間を、思うままにたゆたい続けるのだろう。
関連サイト
いなずみくみこ/Kumiko Inazumi 公式Facebookページ: https://www.facebook.com/inazumiart/
東京スクエアガーデン: http://tokyo-sg.com/
執筆:田嶋章博、撮影:島村緑