江戸の頃は商業の中心地だった日本橋小舟町。ここに創業天正18年(西暦1590年)の団扇、扇子製造販売の老舗伊場仙はある。創業者は伊場屋勘左衛門。徳川家康の江戸進出に伴い浜松から江戸に上がった。当時の屋号は「伊場屋」。和紙や竹製品を扱っていたが、江戸後期からは初代歌川豊国、広重らの版元として浮世絵を刷った団扇を商うようになった。江戸団扇は小舟町で生まれたという。十四代目吉田誠男社長に話を聞いた。
「江戸時代、扇子を使ったのは宮中の人たちや武士。一般庶民には扇子は高価でしたからね。でも夏は暑いでしょ。それで、版元として浮世絵を刷る技術を持っていた伊場屋が団扇絵を刷った江戸団扇を作るようになりました。」
豊国や広重ら絵師や彫師、摺師を抱えた版元としての伊場屋は、いまの出版社がどんなものが売れるか市場をリサーチして本を出版するように、絵柄や色合いなどをディレクションしながら江戸団扇を販売していた。
伊場屋が扇子を製造販売するようになったのは十代目が屋号を「伊場仙」とした、昭和9年頃からである。 骨数の多い京の扇子と違い、骨数の少ない粋ですっきりとした江戸扇子である。戦争直後は需要がなかった扇子も、東京オリンピックが開催された昭和39年頃から需要が増えた。当時の主流は京扇子という雅な花鳥風月を描いた扇子。
「高度成長期、各会社にクーラーが入るようになって、一時的に売り上げが落ちたときがありましたが、当時は贈答用に扇子の需要が多かった。例えば保険会社が扇を配る。初夏に行われる株主総会に扇子を何万本と配る。扇というのは末広がりですからね。これから企業ががんばって業績回復につとめますといったアナウンスだったんでしょう。絵は、“高望み”の意を込めて富士山や鷹などを描くんです」
当時ほどの数ではないが、いまも株主総会、お中元、お歳暮用の扇子を求める企業はある。けれど百貨店が扇子を売り始めた頃から、伊場仙では、洋装にあった新作の扇子をデザインし作るようになった。
「ファッション誌なども参考にしながら、その年の流行の色を取り入れます。去年だったら黒系のモノトーン。地球温暖化が進んで、今年も猛暑が予想されますので、涼感のある寒色系、ブルーや紫をメインで作っています。柄は、江戸扇子ならではの洒落を入れ込んだもの。六つの瓢箪を描いて無病(六瓢)息災とか、トンボ。トンボは前にしか進まないから勝ち虫。武将が兜や甲冑にトンボのデザインを好んでいましたでしょ。他には馬が9頭でうまく(馬九)いく。」
毎年二月ごろから新作の扇子が店頭に並ぶ。
「といっても、我々がデザインするのにも限があります。2015年に初めて、クラウドソーシングを活用して国内外から広く商品アイデアやデザインの公募を行いました。商品アイデアは700件近く、扇子デザインは100件以上も提案があったんです」
写真左は染め上がったばかりの扇子柄。クラウドソーシングを利用して国内外から応募したデザインを活用。これは2016年採用モデルで、海外のデザイナーによるもの。ことわざ「瓢箪から駒が出る」と隈取り・伊場仙の紋がうまくアレンジされている。歌舞伎座と伊場仙のコラボレーションで、伊場仙本店と歌舞伎座にて限定販売される。写真中と右は、外国人向けに制作した、今や世界的キャラクターとなったドラえもんとのコラボレーション。中が江戸団扇、右が江戸扇子。
ほかにも、バレンタインに扇子を送る行事を発案するなど、吉田社長の遊び心はとどまるところを知らない。
「室町時代、扇に女性が歌を書いて好みの男性に差し上げた。好みの男性はホワイトデーのように、一カ月後に返歌をするルールだったようです。宮中で現在のバレンタインのような習慣があったんですね。アイデアを取り込むのは版元時代からお手のもの。浮世絵自体が遊びですからね」
伊場仙が手掛ける扇子から目が離せなくなりそうだ。
最後に、おすすめの扇子をうかがった。
「若い女性におすすめの扇子はこちら(写真左)。注文をすれば、お誕生月の花とご自身のお名前を描いてくれるシルクの扇子です。」
「若い男性にもおすすめの扇子はこちら(写真中)。定番の柿渋を引いた渋扇。畳んだときの側面にも柄が入り、お洒落です。柿渋を塗ることで水や火に強く丈夫になる。暑いから風がたくさん来るほうがいいと、近ごろは大きい扇子がよく出ます。」扇子は江戸時代から比べてどんどん小さくなっていたのが、最近また大きくなる傾向があるそうだ。
「壮年の方におすすめの扇子はこちら(写真右)。江戸風に作ったしけ引きの扇子です。」職人が一瞬のうちに絵筆を引くものだという。
これからの季節に、お気に入りの扇子を一本手に入れてみてはいかがだろうか。
(文・織田桂 写真・泉大悟)