文/澁川祐子 撮影/宮濱祐美子
じっくり炒めた玉ねぎ特有のコクのある甘味のあとに、酸味のあるうまみがせり出してくる。甘味とうまみが絡み合う、茶色く光るねっとりしたペーストを、塩けのあるタルトがさっくりと受けとめる。
初めて食べる味だけれど、なぜかしっくり舌になじむ。商品名に「みそ」と入っていなければ、このうまみの正体がみそだとは気づかないかもしれない。飲みながらちびちびかじりたくなる、あとを引く味だ。酒飲みでない私にだって、これがいいつまみになることぐらい、ひと口食べればわかる。
この「飴色玉ねぎとみそのビッケタルト」が冷凍クール便で我が家に届くまでには、ちょっとしたいきさつがあった。さかのぼること昨夏。コロナ禍でどこにも行けない夏、私は東京の街を歩き回り、時間の旅をしていた。きっかけは、本サイトの連載「タイムトラベルガイド」だ。人けのない街の風景に、江戸時代や明治時代の名残を探し歩くなかで、「bicche ビッケ」を見つけた。
かつて日本橋川から分流していた楓川と、築地川とを結ぶ連絡運河の跡をたどっていたときのことだった。首都高に向かって伸びる細い路地のどん詰まりに、オレンジ色に塗られた壁にがっしりした木の扉が据えつけられた店が目に入った。
夜しか営業していないのだろう。明かりが点いていない細い窓から見るに、飲食店であることは間違いなさそうだ。けれど、こんな人けのないところで、ひっそりと営業している店っていったい。しかもそこだけ異国情緒を漂わせつつ、周囲に溶け込んでいる。その場はすぐに立ち去ったが、妙に心に残る佇まいだった。そこで帰ってネットで探し、忘れないうちにとブックマークしたのだった。
あれから自粛期間を繰り返すこと1年。本連載の候補を探すなかで、あのオレンジの外観が浮かんだ。かくしてこの店の看板メニューである、冒頭のタルトにつながったのだ。
一人でやるために考え抜かれたキッチン
「自分で店を持ってから、店に来るのがイヤだと思ったことがないんです。店の厨房にいるのが一番好きですね」
ビッケタルトの生みの親で、ビッケの店主である木村亮さんは、さらりとそう言った。ビッケは、カウンターとテーブルの合わせて13席の小さなイタリアンだ。木村さんは、2016年4月にオープンして以来、店を一人で切り盛りしてきた。料理をすぐに出せるようにと前菜を多く揃えているため、朝は9時から厨房に立つ。至福のひとときは深夜に閉店し、シンクや鍋をピカピカに磨き上げ、きれいになった厨房をカウンター越しに見ながらお酒を飲むこと。そんな木村さんだが、もともとは料理人になるつもりはなかったという。
「高校を卒業してトラックの運転手になったんですが、事故を起こしてクビになってしまって。それで父親に『コックになるか、美容師になるか』と手に職をつけるように迫られて、地元のレストランで働き始めたんです」
その店がイタリアンだったからという理由で、以来イタリア料理の店を渡り歩いてきた。本格的に料理に向き合おうと思ったのは25、26歳のとき。横浜のワインバーで一緒に働いた、同い年の料理長の腕前に驚いた。
「それまで働いた店は伝統的な料理を出すことが多かったんですが、その人は今でいう創作イタリアンの走りみたいな料理をやっていて。最新の調理法にもくわしくて、料理でこんなすごいヤツがいるんだと。俺の料理なんかたいしたことない。俺も、もうちょっとがんばらないといけないと思ったんです」
ただ、どこに行ってもしばらく経つと「違うところで違う人と働きたくなってしまう」ため、2~3年単位で働く店が変わった。これまでに働いた店は20店舗ほど。話題になった築地本願寺の期間限定レストランで料理長を務めたこともある。長く転々としてきたが、40歳を前にこの店を開いて独立し、一つの場所に落ち着いた。
新富町に店を構えたのは単純に、もとは倉庫だった築60年になるこの物件が安かったからだという。自分でガスや電気を引き込み、一人でまわすのに最適な動線を考えて店内をレイアウトした。だから、コンロは席数に反して5口と多い。それは仕込みをしながら、オーダーにも対応できるようにするためだ。「僕の厨房のスペースより、お客さんのスペースのほうが狭いんですよ」と笑う木村さん。まさにここは、さまざまな厨房で働いてきた木村さんが等身大で築きあげた城なのだ。
全国のみそを試してたどり着いた味
「店を開いたときから、山も谷もなく、ずっと一定のペースでやっていけたらと思っています」と語る木村さん。メディアの取材は基本的には受けておらず、当記事もタルトの紹介ならばと引き受けてもらったぐらいだ。そんな店にとって新型コロナの流行は、守ってきた城が崩れかねない事態だった。その逆境を跳ね返してくれたのが、開店当初からの看板メニューである「飴色玉ねぎとみそのビッケタルト」だ。
「最初からこのタルトと、スライサーで提供する生ハムをメインに店をやろうと決めていました。フレンチに玉ねぎのタルトってありますよね。あれにはアンチョビが入っていますが、日本人の口に合わせるなら、何を入れたらいいだろうって考えたんです。アンチョビは発酵食品。だったら、みそが合うんじゃないかとめっちゃ試作しました」
まずは全国北から南まで、あらゆるみそを取り寄せた。赤みそだと、みその風味が主張しすぎる。かといって白みそだと甘味が強く残ってしまう。塩味と風味のバランスがちょうどいい組み合わせが、信州みそだった。さらにそこからみその分量を少しずつ変え、玉ねぎの甘味がもっとも引き立つ配合を探った。タルト生地も、一流パティシエの下で修業した人に材料から練り方、焼き方までレシピを教わった。そのうえで玉ねぎペーストに合うよう、砂糖や塩の分量を自分なりに調整している。
「料理をつくっているのが苦じゃない」と言い切る木村さんだが、それでもつくっていて大変だと感じる料理が、このタルトだ。説明書きには、スライスした玉ねぎを蒸したあと、バターや生クリームを入れて、玉ねぎの状態に合わせてじっくり10~14時間炒めるとある。だが話を聞いていると、どうやらそれ以上に時間をかけて炒めていそうだ。
「店にいるあいだは、ごく弱火でずっと火にかけています。お店を開けて、お客さんから注文された料理をつくっているあいまにも、ちょこちょことかき混ぜて。だからコンロも5口必要なんです」
そうして丸2日ほど炒めたら、みそとつなぎの役割を果たす卵と合わせ、あらかじめ焼いておいたタルト生地に入れる。そして再度、オーブンで焼き固めたら完成だ。
初めて食べた人はみな、炒めた玉ねぎとみそとが渾然となった味わいに驚くという。そして、そのお客が次に連れてきた人に「これ、おいしいから食べてみて」と必ず勧める。ご多分にもれず私もそうで、最初に食べたときの驚きをまわりについつい伝えたくなる味なのだ。だからコロナ禍になったときも、通販をしたらいいんじゃないかと、常連客から声が上がった。そして、パッケージのデザインやネットの手続きなどを買って出てくれ、通販がスタートしたという経緯がある。
木村さんのつくり出す味と空間を求めて、人が集まる。余談だが、店主の木村さんと私はなんと同じ小学校の出身で一学年違いだったことが、話している最中に判明した。東京の西側でかつて同じジャングルジムに上ったであろう人に、数十年後に東京の中心で出会うことになるとは。しかもその人がつくったものを味わうことになるなんて、過去は思わぬ方向から球を投げてよこすものだ。「人生の大切なことは、酒場に教わった」などとよく言うが、しょっぱうまいタルトは、食を介して人が交錯するこの場所にふさわしい一品だった。
<執筆者プロフィール>
澁川祐子
ライター。食と工芸を中心に編集、執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎ー人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)、編集・構成した書籍に山本教行著『暮らしを手づくりするー鳥取・岩井窯のうつわと日々』(スタンド・ブックス)、山本彩香著『にちにいましーちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)など。