文/澁川祐子 撮影/宮濱祐美子
以前のブームをきっかけに、すっかり定着した厚焼き玉子のサンド。最初に食べたときは新鮮だった。ゆで卵を刻んでマヨネーズと和えた玉子サラダサンドとは、同じ玉子サンドでも別もの。「茹でる」と「焼く」の違いが、これほど味に幅をもたらすのかと舌を巻いた。
あれから数年、洋風のオムレツサンドや和風のだし巻き玉子サンドなど、さまざまなタイプの厚焼き系が注目され、玉子サンドの一角を占めている。だいぶ食べ慣れてきて、新しいものを試しても、もはや最初に食べたときのような驚きは感じない。だが、久しぶりに「これはちょっと違う」と思う玉子サンドに出会った。京橋にある「京すし」の「寿司屋の玉子焼きサンド」だ。
名前を聞けば、誰もがお寿司の甘い厚焼き玉子を挟んだものを想像するに違いない。もちろんその通りなのだが、それだけが「寿司屋」を標榜する理由ではないところが、この玉子焼きサンドのポイントだ。
ひと口食べると、ふんわりとしたパンと、だしを含んだほんのり甘い玉子焼きの間で、マヨネーズの酸味の奥で何やらピリリと自己主張するものがある。そう、この厚焼き玉子サンドには、ガリが入っているのだ。
味の決め手はピクルス代わりのガリ
「新型コロナの自粛がなければ、玉子焼きサンドなんてつくらなかっただろうから、いまはやってみてよかったと思っています」
カウンター越しにそう語るのは、「寿司屋の玉子焼きサンド」の生みの親で、京すしの5代目店主・岡田洋介さんだ。店は再開発を経て、現在は京橋駅に直結する「京橋エドグラン」で営業している。
その新しい店構えとは裏腹に、京すしは、明治10年代初頭から京橋で営業を続ける江戸前寿司の老舗である。創業当初は、日本橋や八重洲にかつて数多く存在していた料亭に、魚や仕出しを卸していたという。岡田さんの祖父にあたる3代目から、寿司だけを提供するようになった。
岡田さんの幼い頃の記憶には、まだ下町風情が残っていた京橋の記憶がある。
「昔はこの辺に住んでいる人も多くて、たばこ屋さんやクリーニング屋さんなんかもあったんです。店の2階には、住み込みの寿司職人さんや板前さんがいて、いつもにぎやかでした」
幼い頃、学校から帰るといつも店で過ごしていたという岡田さん。いずれ店を継ぐだろうと、大学を卒業して、京都の割烹に入った。当時、両親は京すしのほかに料理屋も経営していたからだ。しかし父親が体を壊したのを機に、2年半で修業を切り上げて帰京。親子で店に立ち、寿司の握り方を教わった。代替わりしたのは、現在の店になった5年前からだ。以来、夫婦二人三脚で店を切り盛りしている。
ガラス張りの建物と店内とは壁で仕切られ、ガラスケースのなかにまるで寿司屋がすっぽり収まっているかのようだ。暖簾をくぐって足を踏み入れると、L字型のカウンターに、客席は9席のみ。凛とした和の佇まいは、自分が大きなビルの一画にいることを忘れさせてくれる。
ふだんは昼になると、うまい魚を求めて、近隣で働く会社員が店の前に行列をつくるほど人気だ。煮魚定食や焼き魚定食も評判だが、多くの人のお目当ては鉄火、アジ、サバ、カンパチ、カツオから2種類を選んで組み合わせることができるハーフ丼。きちんと仕事がしてある新鮮なネタもさることながら、硬めに炊き、赤酢をキリッときかせた酢飯が、寿司屋ならではの味わいだ。
だが、新型コロナの感染が拡大するたび、通りから人が消えた。そこで岡田さんは、残った玉子焼きで何かできないかと考え、持ち帰りのサンドをつくろうと思い立った。とはいえ、和食一筋できた岡田さんにとって「甘い玉子焼きをいかにパンに合わせるか」は難題だった。
「バーをやっている友人や、洋食経験のある知り合いにいろいろと相談しました。それを受けて試作したものを食べてもらって、また意見を聞いて。ある人から『ピクルスの代わりにガリを入れてみたら』と言われて、やってみたら美味しかったんです」
パン選びは、友人の店が協力を申し出てくれたりもしたが、ほかもいろいろ試してみた結果、近くの明治屋本店から取り寄せることにした。決め手になったのは、玉子焼きを引き立てる味わいもさることながら、「せっかくなら京橋つながりで」という思いだった。そして2ヶ月かけてようやく納得のいく味にたどり着き、昨秋から販売を開始した。
流行を追いかけずに守り続けてきた江戸前の味
ガリとパンという、およそ合わなそうな組み合わせ。そこへ玉子焼きの甘さ、マヨネーズの酸味が加わることで、互いを引き立て、味の均衡が生まれる。それは、きちんと仕込まれたネタとシャリが組み合わさるからこそ、舌を唸らせるお寿司が生まれるのと同じことなのかもしれない。
「お金さえ出せば、いいネタは手に入ります。だから、ネタそのものよりもアジやサバ、コハダといった〆たもの、シャリやガリの味に、その店の真価が表れると思っています」
そう思うからこそ、岡田さんは代々受け継いできた店の味を何よりも大切にしている。
「シャリに使う赤酢も、しょうゆも、みそも同じものをずっと使っています。シャリやガリの味つけの配合も、前からあるものはすべて変えていません」
昨今、寿司屋ではちょっとした赤酢ブームが起きていて、いろんな店がシャリに赤酢を使うようになっている。だが、京すしが赤酢を使うのは昔からなのだ。それは、江戸前寿司がもともと赤酢を用いていたことに由来している。
その昔、酒粕からつくる赤酢は米酢よりも安かったため、庶民のファーストフードだった寿司にはもっぱら赤酢が使われていた。だが、米酢が安くつくられるようになると、シャリに色のつかない米酢のほうが好まれるようになる。それが逆に最近では、まろやかでコクのある赤酢が見直されているのだ。赤酢は米酢よりつくるのに手間と時間がかかり、いまとなっては価格も逆転している。世間が流行を追いかけている間、京すしは変わらず味を守り続けていただけなのだ。
岡田さんの昔気質なところは、父親の親(ちかし)さん譲りだ。親さんは、江戸の火消しを描く錦絵師としても知られている。子どもの頃、鳶職の頭だった叔父を通じて江戸の火消しに興味を持ち、その姿を描いた錦絵を収集していたところから、実際に自分でも描くようになったという異色の経歴の持ち主だ。
岡田さんは、絵筆は取らないものの、永田町にある日枝神社の氏子として、長く途絶えていた「御防講(おふせぎこう)」を仲間とともに復活させた。御防講とは、火災などの厄災のときに、まっさきに神社に駆けつけ、神社を守る自警団のようなもの。現在では、祭事のときにお揃いの半纏を着て、警備などにあたっている。
岡田さんを取材中、玉子焼きサンドをつくるときしかり、魚や酒の仕入れのときに先輩や知り合いに頼んでいるという話がちょくちょく出てきた。そういえば、玉子焼きサンドについてくるピクルス。きゅうり、みょうが、それに軽くあぶったネギという、和のピクルスの漬け汁も、知り合いに配合を教えてもらったと言っていた。
付き合いを重んじ、変わらぬ味を守る。コロナ禍で新しく生まれた、大人な玉子焼きサンド。そこには図らずも、古(いにしえ)の江戸の名残が宿っていた。
<執筆者プロフィール>
澁川祐子
ライター。食と工芸を中心に編集、執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎ー人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)、編集・構成した書籍に山本教行著『暮らしを手づくりするー鳥取・岩井窯のうつわと日々』(スタンド・ブックス)、山本彩香著『にちにいましーちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)など。