文/澁川祐子 撮影/宮濱祐美子
地下鉄日本橋駅に向かって日本橋を渡った先に、右に折れる通りがある。通りには西河岸のお地蔵さんと呼ばれた「日本橋西河岸地蔵寺教会」があり、かつて4のつく日には縁日が立ち、通りは露店でおおいに賑わったという。その頃と変わらず和菓子の「榮太樓本舗」や食品商社の「国分」といった老舗が商いを続けているが、いまとなっては開発が進む東側にくらべて静かで、ぶらぶら歩きにはもってこいの通りだ。
その西河岸のお地蔵さんの並びに、夕方になるとぼうっとやわらかな提灯の明かりを放つ店がある。黒褐色の板壁と格子戸、提灯には「かに専門」「つめ酒」の筆文字。下戸の私でさえ吸い寄せられそうになる店構えなのだから、呑んべえならばいわんや、に違いない。
その店の名は「日本橋かに福」。ずいぶん前からありそうな佇まいだが、開店したのは7年前の2014年。運営しているのはいわき市を本拠として福島県や茨城県などに10数店舗を構える、1970年創業のシーフドレストランメヒコだ。東京都下育ちの私は知らなかったが、当連載の写真を撮ってくれている仙台出身の宮濱祐美子さんの話を聞くかぎり、地元の有名店らしい(以前は仙台にも店舗があった)。店内にフラミンゴがいたり、水族館さながらの大きな水槽があったりする“アミューズメントレストラン”で、名物はカニピラフ。子どもの頃は憧れの場所だったと、宮濱さんが興奮気味に説明してくれた。
本題に話を戻すと、かにを長年扱ってきたシーフードレストランによる和食のカニ専門店が「日本橋かに福」なのだ。フラミンゴのいる店で食べるカニピラフと、古民家風の店で食べるかにめし。だいぶギャップがあるように感じるが、かに福で「御かにめし」を食べると、両者にはしっかりと共通点があることがわかる。それは「食べる人を楽しませたい」という心意気だ。
“味変”しながら楽しめる「御かにめし」
お店で看板料理の「御かにめし」を頼むと、ほぐしたずわいがにと魚卵、彩りの枝豆を散らしたごはんが、塗りのお重にみっちりと詰められて運ばれてくる。脇に添えられているのは、利尻昆布とかつおぶしの一番だし、わさびやねぎの薬味。さらにランチならば、サラダバーならぬ壺に入った惣菜がついてくる。
かにめしをお茶碗によそって、まずはそのまま頬張る。ぷちぷちと魚卵が弾け、かにとだしの香りが鼻に抜けていき、ほのかに舌に残るかにの甘み。最初のひと口はわりとしっかり味がついていると思ったのだが、食べ進めていくうちにだんだん舌が慣れてくる。それだけ上品な味つけということだろう。一杯目を食べ終えたところで、だしの出番だ。きりっとしただしの味わいが、かにのうまみを際立たせる。そこにわさびをちょんとのせれば、ぶわっと清涼感が加わり、味が引き締まる。ならば、卓上のごま山椒を入れてみたらどうか。そうそう、壺入りのしょうがの佃煮やお新香もあったんだ――。
そんなふうに少しずつ味を変えてあれこれ試していたら、あれほどみっちり詰まっていたお重が空っぽになっていた。食べるのに夢中で、このときばかりは「お一人様ランチ、最高!」という気分である。食べること自体がもはやエンターテインメントなのだ。あの手この手の絶妙な工夫は、どうやって生まれたのだろうか。
「うちのかにめしは、若い子からお年寄りまでやさしく食べられるっていうんでしょうか。ごはん自体は薄味に仕上げています。そのうえで最後までおいしく食べてもらうために、だしや薬味を用意しています」
そう語るのは、日本橋かに福本店の店長を務める朝倉修さんだ。朝倉さんは、メヒコの本拠地と同じ福島県いわき市出身。高校を卒業後、好きだった料理の道に進み、都内の割烹店で修業。地元の割烹店や旅館に勤めたのち、若い頃に一度勤めたメヒコに2002年に戻ってきた。日本橋かに福にはオープン当初から携わり、夜の会席料理も手がける和食一筋のベテラン料理人だ。朝倉さんがメニューを考える際、一番気を配っているのは「かにをどう引き立てるか」ということ。
「かにはそのまま食べても十分、うまいじゃないですか。でもそのままだと代り映えがしないから、どう味の変化をつけるかが大変です」
かにの甘み、風味を殺さないように気をつけながら、かにのうまみを引き出す。そのために、かにとごはんは、別々のだしで炊く。加えて、教えてもらうまで私は気づかなかったのだが、薄く煮たかんぴょうとしいたけ、それにガリが味つけ程度に薄く、細かく切って混ぜ込まれているという。
食べた人が気づくか、気づかないほどの細やかな味つけの集合体。それが、かにの華やかなおいしさを下支えしていたのだ。ただでさえ食べるのが面倒なかにの身が、あらかじめほぐされてたっぷり入っているだけで贅沢なのに、そのうえ繊細な職人仕事が施された逸品なのだ。
ブレのない裏方仕事が味を支える
そんな御かにめしが「おみや」でも食べられる。2人前の量というが、包みを持つとずしっと重い。軽めによそえば、4人はいけるボリュームだ。
蓋を開けると、お店と寸分変わらぬ色あざやかなかにめしが目に飛び込んでくる。お店で食べる温かいお膳がおいしいのはもちろんだが、冷めてしっとりしたおみやのかにめしならではの味わいがある。味がごはん全体になじみ、かにの甘みがよりダイレクトに響いてくるのだ。
お店を真似て、自分でも昆布とかつおぶしで一番だしを取って注いでみた。材料の良し悪しも影響してか、ちょっとかつおの味が強く出てしまった。だが、そんな雑味を受けとめてなお、かにのうまみは消えない。私のイマイチなだしであってもおいしいのは、かにめし自体の力量のおかげである。
食べながら「そういえば」と思い出し、ごはんによくよく目を凝らしてみた。たしかに朝倉さんが言っていたように、かんぴょうやガリのような細かな断片が混ざっている。これはよほどの舌の持ち主でないと気づかないに違いない。表立って主張しない仕事ぶりは、最後に朝倉さんが語っていた料理の姿勢にも通じている。
朝倉さんは営業中、裏の厨房にいてめったに表に出ることはないと語った。それは「お客さんを区別できるようになると、味にブレが出るから」だ。
「お客さんの顔を見なければ、いつでも同じようにつくってブレが出ません。料理人は裏で仕事して、最後に『ありがとうございました』って挨拶して終わるぐらいがちょうどいいんです」
なんという職人気質。そんな言葉を聞いてしまうと、余計にひいきしたくなってしまう。でも、それはおせっかいというものだろう。老舗が多いうえに、いまや再開発で新しい店が次々と増えるこの地にあって、コレド室町1に支店を構えるほどの評判店なのだ。食べるほうは、ちゃんと舌でわかっている。私もお店を見習い、御託を並べずにこのかにめしをさらりとお土産に差し入れられるくらいの人物になりたいものである。
<執筆者プロフィール>
澁川祐子
ライター。食と工芸を中心に編集、執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎ー人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)、編集・構成した書籍に山本教行著『暮らしを手づくりするー鳥取・岩井窯のうつわと日々』(スタンド・ブックス)、山本彩香著『にちにいましーちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)など。