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〈たべるかう〉 拍手喝采!「褒められ手みやげ」
Nice souvenirs of Tokyo

|2022.01.17

昭和の“良心”が宿る味 「和洋料理 きむら」の「とんかつ弁当」

文/澁川祐子 撮影/宮濱祐美子

「とんかつ弁当」はソース、からしつきで税込780円。とんかつ単品も税込600円で持ち帰り可

京橋交差点から、銀座方面に一本隔てた路地に「和洋料理 きむら」はある。高層ビルに建て替わる街のなか、木製の桟と石があしらわれた2階建ての建物に筆文字の看板が掲げられ、こんなお店がまだ残っていたんだと目を細める。

出窓に生けられた季節の花を見やりながら、紺色ののれんをくぐり、カラカラと引き戸を引く。カウンターを中心にしたこぢんまりとした店内には、お昼時になるとお客が入れかわり立ちかわりやってくる。運よく壁際の席が一つだけ空いていたので、そこへするりと滑り込んだ。年季の入っているであろう店内には、揚げものがメインの老舗にありがちな油臭さは一切なく、隅々まで手入れが行き届いていることが暗に伝わってくる。

多くの人と同じように「とんかつ定食をください」と頼み、待つこと数分。スマホをちょっといじっている間に、お盆が運ばれてきた。ふんわりと盛られたせん切りキャベツに、パン粉の立っているとんかつ。小鉢のサラダに、赤だし、香の物、それにツヤツヤなごはん。これ以上、何も足してはいけないし、引いてはいけない。完璧なフォーメーションだ。

粗めのパン粉がザクッと口のなかで音を立て、豚の脂と混ざり合う。分厚いグルメなとんかつも好きだけれど、日常的に食べるなら、このぐらい軽い食べ心地がちょうどいい。赤だしもサラダも安心するおいしさだ。しかも、しめて980円。テイクアウトなら、赤だしがつかないぶん、780円で提供されている。

今日はちゃんとしたものが食べたいという日に、自分や家族のために買って帰るもよし。仕事が忙しい同僚のお昼に、差し入れてもよし。いまとなっては、こういう気安く良心的なお店は貴重な存在だ。それが都心の一等地とくれば、なおさらである。


戦前からの建物は、いまとなっては得がたい財産

左)三代目店主の木邑芳幸(きむらよしゆき)さん。「昔は、この通りにはうちみたいな飲食店が数軒あって、グルメストリートだったんですよ」と教えてくれた
右)店に残る古い写真。右の男の子が芳幸さんの父・芳雄さんで、後ろには埋め立てられる前の京橋川が写っている

取材を申し込んだとき、店主の木邑芳幸さんは「うちのようなお店でもいいんですか」と開口一番、言った。他の飲食店にくらべて、ずば抜けた特徴があるわけでもない。ただこの場所で、地道にのれんを守ってきただけ――そんな謙遜が垣間見える一言だった。ますます取材したいと思い、「街の歴史と絡めてお話を聞かせてください」と食い下がった。

取材当日は、店主の芳幸さん、それに芳幸さんの母で、昭和30年代に嫁いできてからお座敷を切り盛りしてきた女将さんの外志子(としこ)さんが同席してくれた。芳幸さんが店を継いだのは25年ほど前。父親が病に倒れたことを機に、メーカーのエンジニアだった職を辞し、三代目として店に入った。

しばらくは昼の営業だけを続け、芳幸さんは和食を学ぶために料理学校に通い、包丁の持ち方から教わった。夜の割烹営業を再開してからは、昼は二人の妹が、夜は芳幸さんが厨房に立つ。

外志子さんが伝え聞くところによると、店は戦前からあり、当初は酒屋を営んでいたという。

「当時はお酒やみそ、しょうゆはすべて量り売り。2階に丁稚奉公の子たちが住み込みで働いていて、近所に注文を取ってまわっていたのね。ちょっとした料理を出すようになったのは、戦時中。お酒が不足して、少しでもお酒が手に入ると常連さんに『お酒が入りました』と連絡をするんです。それで来たお客さんに、コップ酒を提供する。最近だと酒屋でも小さなカウンターがあって、お酒を飲ませる店があるじゃない。そんな感じでしょうね。で、何もないのも寂しいかなとおつまみを出したのが始まりだと聞いています」

きむらの外観(左)と内観(右)。リニューアル時に、二代目の友人だったデザイナーがファサードや内装を手がけた。木桟や障子の直線と赤と黒をのデコラの天袋が、落ち着いた雰囲気ながらも古臭くなりすぎない印象に

戦後になり、飲食店へと業態を変え、営業を継続。昔の包装紙に「すきやき きむら」と印刷されていることから、「一時はすきやき屋として営業していたみたいです」と芳幸さんは推測する。二代目だった芳幸さんの父が洋食屋で修業したことをきっかけに、とんかつがメインの店に変わった。

外志子さんが店で働くようになった頃、京橋には大映の本社があった。そのため、銀幕のスターもよく店に来た。「市川雷蔵とか、川口浩とか、いまの人は知らないかしら? 山本富士子も来たことがあったわね」と、外志子さんは次々と名優の名前を挙げる。なんと、三島由紀夫がランチに訪れたこともあったとか。

しかも驚くのは、その頃と建物は変わっていないことだ。おそらく大正12(1923)年の関東大震災後に建てられたと考えられる建物は、昨今の耐震診断にも無事にパス。東日本大震災のときにグラス一つ倒れなかったというほど頑丈な造りで、店の歴史をがっちり支えてきた。だが、「最近になってようやく、この古い建物を財産だと思えるようになった」と外志子さんは語る。

「まわりがどんどん建て替わっていくなかで、うちだけ古ぼけていて恥ずかしいと思っていたんです。自動ドアにしたらとか、いろいろな話はありましたよ。でもやっぱり、その気になれなくて。そうしたら、もう入口の木戸も、乳白のガラスも同じようなものは手に入らないっていうじゃないですか。もうここまできたら、なるべく変えずに、大事に使っていこうと思っています」

20年ほど前に内装をリニューアルしたときも、できるだけ昔のイメージを壊さないように心がけた。2階の座敷は、高齢のお客に配慮して椅子とテーブルを入れることにしたが、もとの机の天板を再利用し、低めのテーブルに衣替え。天井は網代、壁は塗りと、内装も昔からの建具と違和感のないように仕上げた。変わらない姿は、ただ年月を経ただけではなく、そんな細やかな配慮の積み重ねによって維持されていたのだった。


無理せず、自分たちが納得できる味を

左)エビ、ホタテ、ひれかつがセットになったランチのミックスフライ定食(税込1600円)。芳幸さんが始めたメニューで、毎朝、豊洲市場で仕入れた海鮮を使う
右)現在、テイクアウトメニューとして準備中の豚汁。とんかつ弁当とあわせて税込1000円で発売予定

「奇をてらわない、流行りを追っかけないというのがうちの店ならではかもしれませんね」と芳幸さん。それは建物も味も同じだ。

父から引き継いだのは、「材料にこだわるところ」。芳幸さんの父は、数件隣のいまはなき「与志乃鮨」の大将と一緒に築地市場へ行き、魚の見極め方を教わったという。「与志乃鮨」は、「すきやばし次郎」の小野二郎さんが修業した店としても知られる、かつての名店だ。そんな父と一緒に、幼い頃の芳幸さんもまた、市場をついてまわった。市場が移転したいまも、仕入れのために豊洲に毎日出向く。肉も、父の代から同じ肉屋さんと付き合い、厳選したものを取り寄せている。

とんかつを揚げる油は、「毎日食べられる味に」とさっぱり揚げあがるコーンサラダ油を使う。もちろん毎日濾過し、常にいい状態を保つことを忘れない。そんな実直さを、無意識のうちにお客は料理から受け取っているからこそ、また店に足が向かうのだろう。

「うちは一年に一度行くような店ではなく、『また来たいな』と思ってもらえるようなお店にしたいと思ってやってきました」と、外志子さん。だから、接客もいたって自然体だ。

「だって見栄を張ったり、よく見せようしたりすると疲れるじゃない。うちは、誰が来ても特別扱いはしない。だからかえってお客さんも気が楽なのかもしれないわね」

それだけに二代、三代と長く贔屓にする常連客もいれば、お忍びで来る有名人もいる。そしてみんな、舌になじむ味を楽しんで一息つき、帰っていく。外志子さんは、話の最後をこう締めくくった。

「ちゃんとしたものを出せるだけの大きさでしか、うちはやらない。お店は大きくするばかりが能じゃないのね。自分たちが納得できるものをお客様に召し上がっていただいて、それで喜んでもらえれば、それ以上幸せなことってないんじゃないですか」

昭和の“良心”。そんな言葉が取材を終えて、ふっと浮かんできた。消えていく時代のよさが、この空間に、味に、人に、宿っている。それは、決して昭和を知る人間にとってだけでなく、誰にとっても心地よく、安らぐものであるに違いない。

INFORMATION

和洋料理 きむら

住所
中央区京橋3-6-2
電話番号
03-3561-0912
営業時間
11:30~13:30 (L.O.) /17:00~21:00 (L.O.20:00)
定休日
土曜、日曜、祝日
Webサイト
http://asku.sakura.ne.jp/kimura/

<執筆者プロフィール>
澁川祐子
ライター。食と工芸を中心に編集、執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎ー人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)、編集・構成した書籍に山本教行著『暮らしを手づくりするー鳥取・岩井窯のうつわと日々』(スタンド・ブックス)、山本彩香著『にちにいましーちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)など。

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