文/澁川祐子 撮影/宮濱祐美子
昭和なビルやマンションが残り、古くからある店やシャッターを下ろした店に混じって、ポツポツと個性的な店が出現している新富町。今年7月に10周年を迎える、豚の内蔵料理が得意なイタリアン「Nodo Rosso(ノードロッソ)」はそんな店の一つだ。隣にある昔ながらのスナックを横目にガラス戸を開けると、手前にカウンター、奥にテーブルが3席ある。10数人ほどでいっぱいになるこぢんまりとした空間に、昼ともなると次々とお客が入ってくる。そのほとんどが一人客だ。
みなメニューを一瞥しただけで、よどみなくすらすらと注文する。頼むのは、ランチ限定の名物「新富町の肉魂ハンバーグ」だ。サイズを指定し、ソースを選ぶ。目玉焼きやチーズのトッピングを頼む人もいる。サラダをつまみながら待つことしばし。鉄板のうえでパチパチと小気味よく脂がはぜる音をさせながら、ころんとしたハンバーグがやってくる。
強そうな名前の通り、ハンバーグは弾力があって肉肉しい。それもそのはず、このハンバーグは粗挽きを通り越して、もはや塊というべきゴロッとした肉の集合体なのである。初心者の私が勇んで箸を入れたら、バキッと箸が折れてしまったくらいだ。当然のごとく、噛み応えがある。そして噛めば噛むほど、肉のうまみ、脂の甘みが口の中にじわじわっと溶け出してくる。
うれしいことに、このハンバーグはテイクアウト可能だ。コロナ禍で数少ないよかったことの一つに、これまで入りにくかったお店の味をテイクアウトで気軽に楽しめるようになったことがある。このハンバーグは、その好例かもしれない。そこで話を聞いてみると、そもそもこのハンバーグが登場したこと自体、コロナの感染拡大がきっかけだった。
イタリアのソーセージ「サルシッチャ」がヒントに
「コロナ以前の新富町は、銀座で飲み疲れた人が流れてくる街でした。『こんな店、よく知っていますね』と言われたい人が、隠れ家的に人を連れてやってくるんです。金曜の夜10時から満席になることもしばしばでした。でも、コロナが広がり始めた2020年2月の後半は、予約が次々とキャンセルになって。それでだいぶ前にやっていたランチを復活し、オンラインショップも始めることにしました(※)」
(※)オンラインショップは、現在休止中。
Nodo Rossoのオーナーシェフ、藤岡広幸さんは、多くの飲食店が窮状に陥った3年前をそう振り返る。ランチを再開するにあたって思い浮かんだのが、時々出していたハンバーグだった。
「豚一頭分の内臓を仕入れているため、どうしてもグリルに向かないところが余ってしまいます。牛を塊で焼いたローストも出していますが、やっぱり切れ端が残ってしまう。それらをうまく活用できないかと、最初は細かく切った肉を腸詰めにしてサルシッチャをつくったんです」
だが、お客の反応はいまいちだった。「サルシッチャって何ですか」と聞かれ、「イタリアのソーセージです」と答えると「ソーセージならいいや」とそっぽを向かれてしまう。イタリアでサルシッチャは立派なメインの肉料理だが、日本でソーセージというと、サブメニュー扱いなのだ。そこで藤岡さんは「メインになる一品を」と、肉を網脂で包んでハンバーグの形にまとめ「ゴロゴロお肉のNodo Rossoハンバーグ」として出した。すると、つくるたびにいつのまにか予約の段階で売り切れるほどの人気メニューになった。
「あれをヒントに、ランチ用のハンバーグをつくろう」。そう思った藤岡さんは、さっそく改良に取りかかった。まずはリサーチのために、人気のハンバーグをいくつか取り寄せて試食してみた。
「そのうちの一つは、シェフが牛肉を焼いていて、いかにも牛肉がメインで使われているように見えるパッケージでした。なのに裏の原材料を見ると、鶏肉、豚肉、次に何かあって、4番目にようやく牛肉が記されていたんです。原材料表記って、使っている量が多い順番に書きますよね。4番目に出てくるってことは、牛肉の割合が少ないってこと。それなのに、そのパッケージはどうなんだろうとモヤモヤして。ならばこっちは網脂のハンバーグのゴロゴロ感を再現した、肉肉しいハンバーグをつくろうと思ったんです」
そこで藤岡さんは、仕入先の肉屋さんに「挽き肉の一番大きいサイズってどのぐらいですか」と聞いた。返ってきた答えは「1cm」だった。主流は4mmか6mmなので、倍ほどの大きさだ。迷わず「じゃあ1cmでお願いします」と言うと、肉屋さんは「何に使うんですか?」と尋ねてきた。「ハンバーグです」と答えると、「ハンバーグで1cmって……、大丈夫ですか?」と驚かれたと笑う。
1cmのミンチがハンバーグでなぜ使われないかといえば、大きくなればなるほどまとまりにくくなるからだ。かといって、つなぎを多くすれば肉肉しさは損なわれてしまう。藤岡さんが使うつなぎは最小限だ。肉2kgに対して使うつなぎの量を実際に見せてもらったが、保存袋の底にちょっと溜まるぐらいの、ほんのわずかなパン粉と卵、オリーブオイルのみ。それだけに、十分練らないとまとまらない。「時間をかけると手の熱でダレてしまうので、すばやく力を入れて練らなければいけないのが大変です」と藤岡さん。
ハンバーグに使われている牛肉は、藤岡さんの出身地である山形県の黒毛和牛「尾花沢牛」だ。添えられるソースはオリジナルのしょうゆベースのソース、トマトソース、ポン酢ソースの3種類から選べるが、そのうち定番のしょうゆベースのソースには、山形のだししょうゆが使われている。地元にこだわるのは、イタリアンのモットーである「地産地消」に対する、藤岡さんなりの解釈である。こうしてインパクトのある肉塊ハンバーグが誕生した。
大好きだったモツをイタリアンで
藤岡さんは、イタリアン一筋の人である。初めて、本格的なイタリアンにふれたのは高校卒業後。専門学校に通うために上京し、そのアルバイト先がイタリア料理店だった。イタリアンに惹かれたのは「お皿からはみだすような、豪快な感じがかっこいい」と思ったからだ。
幼い頃から、食い道楽の父親の影響でおいしいものが好きだった。出張の多かった父は、各地で食べた珍しい食べものの話を聞かせてくれ、ときにはお土産も買って帰ってくれた。いまでも覚えているのは、博多ラーメンの衝撃だ。「山形にはしょうゆラーメンしかなかったから、白いスープと細い麺を見て、『なんだこれ』ってびっくりしました」と振り返る。
自然と料理にも親しむようになった。幼稚園時代から料理をする祖母を手伝い、クリスマスケーキもつくった。『美味しんぼ』や『クッキングパパ』などの料理漫画にハマった。高校生になってからは飲食店でアルバイトをした。そして出合ったイタリアンが「肌に合う」と直感した藤岡さんは、仙台のホテルのイタリア料理店に就職。そこから本場の味を追い求める旅が始まった。いまから20年ほど前のことだ。
当時は、落合務さんなどイタリアで学んだシェフが脚光を浴びていた時代。一方、仙台にいた藤岡さんは、「何がイタリアンの正解かがわからない」というジレンマを抱えていた。そこで月に一度、休みの日に東京にやってきては、めぼしい店を食べ歩くようになる。
「履歴書を持って深夜バスに乗り、新宿に着くのが朝4時。24時間営業のファーストフード店のトイレで身支度をして、ランチで2軒、ディナーで1~2軒、ハシゴするんです。食べておいしいと思った店で履歴書を出して、面接をしてもらう。それでまた深夜バスに乗って、翌朝9時からまた仕事に行くというのを繰り返していました」
そして再び上京して働き始めたのが、恵比寿の店だった。オーナーシェフはイタリア人で、アルバイトも留学中の学生など、働いていたのはほぼイタリア人。客もイタリア人が多く、店内にはイタリア語が飛び交っていた。そうなると、今度は本場に行きたいという思いが募ってくる。店に2年ほど勤めて辞めたのち、1年ほど寝る間も惜しんで酒屋やパチンコ屋、カフェなどのアルバイトを掛け持ちしてイタリアに行く資金を貯めた。
晴れてイタリアに旅立ったのは25歳のとき。貯めたお金を使い切るつもりで1年あまり、イタリア各地を食べ歩いた。フィレンツェの人気リストランテ「イル・グッショ」で味わった豚の脳みそのソテーや、パレルモのトラットリアで出合ったイワシにフェンネルをあわせたマンマのパスタ。トスカーナのワイナリーではブドウの収穫とワインの醸造も手伝った。本場での経験はいまも、店の味をつくるヒントになっている。
イタリア帰国後は、東京のトラットリアやリストランテで6、7年ほど働き、2013年7月に現在の地、新富町で独立。店を開くにあたって何か武器があったほうがいいと考え、内臓料理を看板に打ち出すことにした。内臓料理は、藤岡さんにとっては思い出の味の一つだったからだ。
「小さい頃、母親が近所のスーパーに買いものに行くのについていくと、その前に出ている屋台で、一串70円の焼きとんを買ってくれたんです。豚タン、レバーが好きで、それを食べながら買いものが終わるのを待つのが楽しみでした。焼肉屋に行ったら、必ず頼んでいたのがセンマイ刺し。父親に教えてもらった、今でも大好きな一皿です。幼稚園で先生に『好きな食べものは?』と聞かれて、『センマイ刺し』と答えたぐらいです」
内臓は流通量が少なく、決まった店以外にはなかなかまわってこない。店を始めたばかりの藤岡さんは、品川の食肉市場に毎日通い詰め、徐々に質のよいものを仕入れられるようになった。それだけに、内臓のグリルの仕上げはシンプルに塩、コショウだけ。臭みがまったくないのはもちろんのこと、これほどまで部位ごとに食感の違いや味わいの豊かさがあったのか、という新鮮な驚きがある一皿だ。
飾らず、おいしい。そんな藤岡さんの料理と人に惹かれて、今日も小さな灯りを求めて人がやってくる。
「来週、1.6cmの挽き肉ができるようになるってお肉屋さんから連絡があったんです」と藤岡さんはいたずらっぽく言う。肉魂ハンバーグのゴロゴロ感がさらにアップするとあらば、また来なければ。そんなふうに、いまいる常連たちもこの店に通うようになったんだろう。
オープン当初は「おじいちゃんとおばあちゃんと猫しかいなかった」が、古い建物がところどころ建て替わり、この10年でだいぶ様変わりした。とくにコロナ以後は、ランチをきっかけに20代、30代のお客が増えたという。街も料理も少しずつ変わってゆくなか、人が店に通う理由はいつだって変わらないのだ。
<執筆者プロフィール>
澁川祐子
ライター。食と工芸を中心に編集、執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎ー人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)、編集・構成した書籍に山本教行著『暮らしを手づくりするー鳥取・岩井窯のうつわと日々』(スタンド・ブックス)、山本彩香著『にちにいましーちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)など。