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〈むかしみらい〉 地元企業物語
Campany's story in our town

|2016.09.25

Vol.6 パイロット

初の純国産万年筆製造のこだわりは今も、そしてこれからも。


1884年、アメリカで生まれた万年筆。1895年には、丸善日本橋店で輸入販売され、徐々に国内でも生産され始めるが、輸入部品を組み立てる程度のものだった。そんななかで万年筆の国内一貫生産を実現させたのが、パイロットコーポレーションの前身となる「株式会社並木製作所」だ。

創業者の並木良輔は、明治30年代の半ばに商船学校を卒業後、海外貿易を担う貨物船の機関士として働いていた。この船上で出会ったのが、もう一人の創業者和田正雄である。

明治39(1906)年に船を降りた並木は、母校の教師になる。このとき、製図用のペン「烏口からすぐち」の扱いに苦労する学生たちを見て、軸にインク貯蔵部を設けた「並木式烏口」を開発する。これをきっかけに万年筆の国内生産への夢が芽生えた並木は、持ち前の探究心を発揮。ペン先を、摩耗の少ない羅針盤と同じ素材のイリジウムにすることを思いつく。そんな並木を和田は金銭的に援助し、大正5(1916)年2月9日、記念すべき初の純国産万年筆が誕生した。

2年後の大正7(1918)年、商業の中心地であった日本橋に本社を構えるが、その後は業務拡大にともない京橋へ移転。当時の本社前の写真には、正月明けに初荷を積んだトラックを見送る人々の姿が映されているが、京橋名物となっていたことを考えると、会社の盛況ぶりもうかがえる。

創業から10年余りで、ニューヨーク・ロンドン・上海・シンガポールに支店も開設。さらに伝統工芸の蒔絵を纏った万年筆も製造し、これが、まさに海外流通の目玉商品となった。そのために、国内では、80余名の蒔絵職人の製作集団「國光会こっこうかい」」を工場内に開設し、職人の高い技術を発揮できる環境を整える。それは世界を知る二人が生半可な製品では通用しないことを熟知し、日本人としての誇りをも示していたとも考えられる。

昭和13(1938)年に、「水先案内人」の意味をもつ「パイロット萬年筆株式会社」に改称されてから、さまざまな変遷はありつつも、現在、そして未来も、その精神は変わらないという。「書く」に特化し、万年筆だけでなく大ヒットしたフリクションボールペンなど、すべて自社開発・一貫生産を貫いていく。

昭和37年、交通機関をストップさせた京橋名物の初荷風景(本社前)

パイロットを代表する万年筆「カスタム845」。エボナイトを削り出し、漆で仕上げた逸品

株式会社パイロットコーポレーション
住所: 中央区京橋2-6-21
TEL: 03-3538-3700
交通: 東京メトロ銀座線京橋駅から1分、都営地下鉄浅草線宝町駅から3分
WEBサイト: http://www.pilot.co.jp/


TEXT: 大谷みさ子
東京人2016年7月増刊より転載

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