日本三大祭のひとつとして名高い「山王祭」。徳川三代将軍家光公以来、歴代将軍が上覧拝礼する数少ない「天下祭」として、古くから愛されてきた歴史ある祭りとして知られています。
2016年は、この「山王祭」が行われる年。そこで、さまざまな角度から「山王祭」に親しんでもらおうと、去る3月24日(木)、コングレスクエア日本橋にて第二回「江戸まち塾」が開催されました。
第二回の講師は、江戸東京博物館館長の竹内誠さん。第一回の講師を務めた江戸町火消し「ろ組」組頭の鹿島彰さん、世話役として参加された竹内章雅さんも登場し、かつて江戸の町が「祝祭都市」であったお話をお伺いしました。
当時の江戸は「ハレ(非日常)の町」と称されるほど、祭りに事欠かない町だったそう。有名なお祭りだと、3月の浅草神社「三社祭」にはじまり、当時東京タワーの近くにあった水天宮の「水天宮祭」、日枝神社の「山王祭」、富岡八幡宮「深川八幡祭り」、神田明神「神田祭」、芝大明神「だらだら祭り」とつづき、ひときわ活気づいたとか。
加えて、戌の日など「干支」にちなんでも祭りが行われ、日によって縁日もあり、江戸中が連日にぎやかだったことには驚かされました。江戸の歴史を紐解く上で、お祭りは切っても切れない存在。「祝祭都市」の呼び声高い町だったことがうかがえます。
また、お祭りと縁が深い花火も江戸ならではの風物詩。隅田川の川開きは、当時、旧暦5月28日に行われ、8月28日までスポンサーがいる限り、連日花火が打ち上がり夜空を美しく染めていたそう。
1733年に江戸で初めて発生したとされる「打ち壊し」のお話では、懲らしめたい家に神輿を担ぎながら打ち壊したりすることもあった(しかも神輿は神様のものなので、お上からお咎めはなかったそう!)など、当時の活気溢れる雰囲気をうかがい知ることもできました。
ユーモラスな語り口調の竹内館長のお話に、身を乗り出し、時には大笑いする参加者の姿であふれた第二回「江戸まち塾」。今後、第四回まで予定されています。江戸を紐解く逸話に触れるこの機会、ぜひお気軽にご参加ください。