全国に広がる水辺のソーシャルアクション。「水辺+RING(輪)」「水辺+ING(進行形)」、「水辺+R(リノベーション)」から「ミズベリング」との造語が5年ほど前につくられ、世間の注目を集めるようになったが、もっと早い時期からミズベリングに通底する問題意識を持ち、時代の流れを先取りした取り組みで成果をあげているプロジェクトがある。2008年にスタートした「江戸東京再発見コンソーシアム」だ。日本橋川や隅田川などを電気ボートで巡るツアーを主催し、2009年からこれまで延べ約1万5,000人を集客。東京の観光舟運の草分けとして、周辺地域の活性化に貢献している。
なぜ水辺に人はこれほど惹きつけられるのだろう。同コンソーシアムのメンバーとして舟運事業を担う株式会社建設技術研究所(中央区日本橋浜町)の宮加奈子研究員と今井敬一次長に、人気ツアーの裏側やその意義について訊いた。
水の都の情景を探して。いつもと違う視点の東京観光を提案
水辺は地域の成り立ちや風土を映し出す。歴史を遡れば、徳川家康が入国した1590年当時の江戸は何もない湿地帯に過ぎなかった。しかしそこに水運の利を見出した家康は、市中に堀や水路を張り巡らせ、巨大水都をつくり上げたのだ。
「江戸の水辺には賑わいがありました。物流や交通、娯楽など多岐にわたり活用され、その様子は、浮世絵に描かれた情景から窺い知ることができます。しかし、街と川が分断される形になってしまった現代の都市空間では、残念ながら水辺は多くの人にとって遠い存在になっています。江戸東京再発見コンソーシアム主催の『お江戸日本橋舟めぐり』では、江戸の歴史や街づくり、舟運や治水といった話題を切り口に、人々と水辺の心理的な距離をまた近づけるようなきっかけづくりをしています」。
こう語る宮さんはツアーの企画・運営のみならず、会社が所有するアメリカ製の電気ボート、通称「江戸東京号」の専属ガイドとしても活躍。現在、6つある「お江戸日本橋舟めぐり」のすべてのコースを担当し、年間を通して1カ月に10日前後のツアーを精力的にこなしている。
「江戸の暮らしを想像するのは難しいと思われるかもしれませんが、古地図を見ると意外なほどよく知った地名や町名、川の名前や橋の名前を見つけることができます。半透明の現代地図を古地図の上に重ね合わせた特製のルートマップを用意し、観光ガイドを通じて、現代に続く江戸の掘割の姿を蘇らせる工夫をしています」。
いつもと違う視点で東京観光を。そのなかで何かしらの「気づき」を持って帰ってもらうことを大切にしているという宮さん。配付されたルートマップをお土産として大事に持って帰る参加者も多いそうで、「舟めぐりをきっかけに、今度は自分の足で街から江戸の面影を探す再発見をしてほしい」と笑みをのぞかせる。
広がりを見せる東京の観光舟運。建設コンサルタントとしての使命
宮さんと今井さんが所属する国土文化研究所は建設技術研究所のシンクタンク組織で、心豊かな社会を創造するための研究や、市民向けのオープンセミナーなどを行っている。
「『お江戸日本橋舟めぐり』は、われわれ日本橋企業の地域貢献活動であるとともに、河川やダムなど水に関わる社会インフラ整備に長年関わってきた会社として、水辺の魅力を一人でも多くの方に知ってもらうための社会貢献活動と位置づけています」(今井さん)。
建設技術研究所は創業73年、株式会社設立55年の日本で最初の建設コンサルタントだ。プロポーザル(技術提案を評価する発注)受託で業界1位を誇り、業界では知らない人がいない大手企業だが、社会貢献活動とはいえ、一見畑違いとも思える観光舟運事業に乗り出すことは並大抵の難しさではない。宮さんは当時を次のように振り返る。
「今でこそ都心の川でプレジャーボートをよく見かけるようになりましたが、私たちが活動を開始した当初は、一般開放されている船着場はほとんどありませんでした。観光舟運の社会実験として、日本橋川常盤橋防災船着場(東京で最初の防災船着場)の使用が特別に認められ、『日本橋川コース』のモニター運航をスタートさせたのが2009年のこと。安全性、地域の合意など、どうすれば定期運航ができる態勢を整えることができるのか、あらゆることが手探りの日々でした」。
そして2011年、念願の観光船着場である日本橋船着場の完成に伴い、「神田川コース」「深川コース」「小名木川コース」の3コースを開発。さらに、墨田区、江東区などの船着場の使用が許可された2014年以降は、日本橋と東京スカイツリーを結ぶ「634(ムサシ)コース」を、日本橋船着場を発着して周遊していた小名木川コースを小名木川の最後まで走破する「改訂小名木川コース」として相次いでリリース。宮さんは東京の観光舟運連携の立役者となった。
「ステークホルダーとのコミュニケーションは、商品の宣伝とは違って、できるだけ費用をかけずに継続的にコミュニケーションを実施していく必要があります。その点、『お江戸日本橋舟めぐり』の参加者の中にはリピーターの方が多く、その方々が口コミを使って宣伝してくださるおかげで、運航実績数は年々増加しています。乗船料の収入からボートの維持費や人件費などを差し引くと赤字ですが、このプログラムにはそれ以上の価値があると確信しています」と話す今井さんの語り口からは、上司と部下の絶対的な信頼感が感じられた。
知的好奇心をくすぐる、競争率約6倍の人気ツアーの誕生
変わるものと変わらないもの。変えてはならないものと変えねばならないもの——。宮さんと今井さんの話を訊きながら、ふと頭の中をよぎった根源的な問いに、宮さんがハッとする気づきを与えてくれた。
「観光という言葉は『光を観る』と書きますよね。中国の易経にある『観国之光』が語源とされています。つまり、観光とは『国の威光となるものを観る』こと。そういう意味で、高層ビルの間を縫いながら今なお残る江戸の面影をたどる舟旅は、まさに観光だと考えています」。
参加者が乗船するのは、騒音や排気ガスの出ない電気ボート。スピードは歩くのとさして変らず、滑るように進む。水がかすかにさざなみ立って流れる音は、江戸の人々が聞いたそれときっと同じに違いない。
宮さんが生み出したもうひとつの人気ツアーがある。2013年に株式会社設立50周年を記念して企画した、建設技術研究所主催の「江戸東京・川のなぜなぜ舟めぐり」だ。同社のシビルエンジニア(土木技術者)が、河川構造物や川からつながる街を水辺から見て都市のインフラを解説するもので、インフラのエンドユーザーである一般市民に建設コンサルタントの仕事を伝えるのにも一役買っている。
「今井をはじめ、当社の役職員の半数が国家資格の技術士です。技術士でない私からすると、河川、ダム、道路、橋梁、トンネル、都市、そして情報、環境、防災、国際分野など、多様な専門分野を持つ彼らに都市を語らせたら右に出る者はいないのではないかと思うほど。しかし、建設コンサルタントといわれてもピンとこないのが世間の大方ではないでしょうか。建設コンサルタントは、上述のさまざまなインフラの調査、計画、設計を通じて、日常生活における“暮らしやすさ”の基礎を担っています。『なぜなぜ舟めぐり』を通じて、シビルエンジニアの存在をより身近に感じてもらえたら嬉しいです」。
「江戸東京・川のなぜなぜ舟めぐり」は好評につき毎年定番化。今年で6回目を迎えた。昨年は、140人の募集に対して、849人(競争率約6倍)の応募があった。さらに今年は、特定非営利活動法人 シビルNPO連携プラットフォーム(CNCP)が行っている、CNCPアワード「市民社会を築く建設大賞2018」のベスト・プラクティス部門において、「お江戸日本橋舟めぐり」が優秀賞を受賞。日本橋地域の活性化への貢献、インフラに対する理解醸成はもとより、舟めぐりのプログラムを社員研修に活用するという独自性が評価されたかたちだ。
子どもの世界を広げ、たくさんの気づきを与えたい
最後に、情熱にあふれ、勉強熱心な宮さんに今後トライしたいことを訊いた。
「今年、ノーベル医学生理学賞に輝いた京都大学高等研究院の本庶佑特別教授の記者会見は記憶に新しいですよね。科学者を目指す子供たちに向けて、先生が贈った『不思議だな、という心を大切にすること。自分の目で物を見る。そして納得する。』というメッセージに強く共感しました。舟めぐりで得られる気づきは自分たちの暮らしや街のあり方を考えるきっかけとなると思うんです。そのため、子供たちの自発的学習を促進する教育カリキュラムとしての舟めぐりワークショップを作ってみたいです」。
関連サイト
江戸東京再発見コンソーシアム http://www.edo-tokyo.info
株式会社建設技術研究所 http://www.ctie.co.jp