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〈はたらく〉 イノベーションの舞台
FRONT of TOKYO

|2022.04.25

時計は寝ながら直す!? 稀代の時計師・ゼンマイワークス 佐藤努の日常

東京は八重洲の南端に、その道ではよく知られる時計師がいる。時計修理会社「ゼンマイワークス」代表取締役社長・佐藤努さんだ。極めて高い修理技術を持ち、一部では“時計修理モンスター”などとも呼ばれている。

ところが佐藤さんと実際に話してみると、修理の“名人”たる重々しい雰囲気は漂っていない。そして、意外なことにこう言い切る。「僕、時計に興味ないんですよ」。

はたして時計師・佐藤努とは、どんな人なのか。その稀有な仕事現場をのぞかせてもらった。


ときには「欠けた歯車」さえ再生させる

「本当の時計修理を提供したい。時代に取り残されたとしても。」

ゼンマイワークスのホームページには、会社のフィロソフィーとして、そう大きく書かれている。その横には、世の中にはオーバーホール(分解掃除)やちょっとしたパーツ交換を修理と称して提供する向きもあるが、同社では時計師が培ったスキルを駆使して部品交換程度では直らない“真の修理”を行っていきたいという旨のメッセージも添えられている。

左)ゼンマイワークスの応接スペース
右)ゼンマイワークス 代表取締役社長・佐藤努さん

そんな生粋の“時計修理人”である佐藤さんが行う作業は、多岐にわたる。オーバーホールはもちろんのこと、代替部品があれば部品交換もするし、手元になければ部品を取り寄せもする。もし部品が正規ルートで見つからなければ、国内外のさまざまなツテをたどって探し回る。あるいは、部品を自作してしまう。

ときには、欠けた歯車の歯を、神技的なスキルで“復活”させることもある。時計の外装部に付いたキズも、ある程度浅ければ専用機械で磨いてピカピカにするし、深いキズであれば特殊な溶接機で溶接したうえできれいになじませることもある。

そうして、いつしか生まれたのが「時計修理モンスター」や「ゾンビ時計の救世主」といった異名だ。“あそこにいけば、どんな時計も生き返らせてくれる”と。

上段)ときには欠けてしまった歯車を復活させることも
下段)深い傷であっても、溶接を駆使してきれいになじませられる

ただ、そんな佐藤さんのブログ『ゼンマイワークスの日常。』には日々の修理の様子が多くの写真とともにつづられるが、そこには“崇高なる時計師”といった気負いは皆無だ。なぜか街なかのハトを撮るのが日課となっていて、脱力感あふれるハトの写真と、精巧な時計パーツの写真が、並列に並べられている。佐藤さんのもとにはオブジェ、アクセサリー、洋服などあらゆるハトグッズが、ブログを見たお客様から続々届いている。

そして、「時計を直すのは大好きですが、時計自体には興味ないんです」とうそぶく。そんな佐藤さんに、これまでの来歴を聞いてみた。

「はじめは時計師を目指していたわけではありませんでした。むしろ、こんな細かな作業をする仕事にだけは就きたくないと思っていました」。

実は佐藤さんの父である故・佐藤宣夫さんも、長年ロレックスの修理に携わった名うての時計師で、佐藤さんは幼少時代からその仕事内容をなんとなく把握していたのだ。

「家には工具がたくさんあり、よく自転車などをいじっていました。それで車やオートバイが好きになり、仕事はそちらの道に進みました。ところが、仕事内容や待遇面でなじめず、途中で挫折してしまいます。

そうしてプラプラしていたところに、父の仕事の関係で子どものころからよく知っていた時計代理店・一新時計の修理責任者の方に、声をかけていただいたんです。なにぶん職に困っていましたから、ひとまず時計修理の仕事をやってみようとなり、そのままずるずると今にいたります」。

左)ホームページに書かれたゼンマイワークスのフィロソフィー
右)佐藤さんのブログ『ゼンマイワークスの日常。』

窓口から聞こえた「大喜びの声」と「怒鳴り声」

佐藤さんが一新時計に入ったのは、二十歳のときだった。当時一新時計は、海外製の高級時計ブランドを数多く扱う代理店で、修理やメンテナンスを行うそのサービス部門は、国内屈指の技術力を備えていた。そこで佐藤さんは時計修理のいろはを学び、取り扱っていたパテックフィリップやショーパールといった高級ブランドの修理研修を受けに、スイスをはじめ海外に何度も足を運んだ。

ただ意外にも、父親からは修理技術を一切教わってないという。

「父は業界でそれなりに有名だったので、一新時計に入った当初は、何か僕がうまくやると『やっぱり、蛙の子は蛙だね』と言われました。そうやって評価されるのがすごく嫌で、父からは一切教わらないと心に誓ったんです。だから今の僕の技術は、一新時計時代の上司や、海外研修のときに仲良くなった先生、海外の知人などから教わったことを、自分なりに解釈してごちゃまぜにしたものになります」。

その一新時計時代に、佐藤さんを時計師の仕事に惹き込むきっかけとなることがあった。

「狭いオフィスだったので、窓口で直った時計を受け取ったお客様の大喜びする声が、パーテーション越しによく聞こえてくるんです。二十歳そこそこの小僧にとり、人にここまで喜んでもらえるってすごいことだなと、心に響くものがありました。逆に、お客様が仕上がりに満足できず、烈火のごとく怒鳴っている声も聞こえてはきましたが(笑)」。

その後、佐藤さんは一新時計で修理業務に携わり続け、サービス部門の責任者として全取り扱いブランドを統括するまでになる。そして2014年、リーマンショックを契機に業績不振に陥った会社がサービス部門の廃止を決めたのを受け、同社から修理業務の下請けを行う時計修理会社・ゼンマイワークスを立ち上げる。佐藤さん自身は会社に残るよう要請されたが、失職する仲間を一人でも減らしたい思いから起業を決めた。

「時計に興味はないけれど、人は大事にしたかったんです」。

そうして佐藤さんは現在まで8年にわたり、ゼンマイワークスの代表取締役として会社経営と修理業務に身を投じてきた。

「やっぱり今でも『もう動かないと思っていたのに、動いた!』『どの店に行っても無理と言われたのに、まさかこうして直るとは…』といったお客様の声が、仕事の原動力の大きな一つになっています」。

そんな佐藤さんに、これまでで特に思い入れのある案件を聞いてみると、佐藤さんらしいツンデレな答えが返ってきた。

「基本的には、案件のことは直したそばから全部忘れちゃうんです。でもそれぞれに手間はおもいっきりかかっているので、すべての案件に思い入れがあるといえばある。だから修理した時計を数年後にオーバーホールなどで再び開けて中を見ると、当時の苦心がまざまざとよみがえります」。

左)同社では高級ブランド「ツァイトヴィンケル」のサービスセンター業務も請け負っている

他の時計修理店からも修理の依頼が舞い込む

さらに佐藤さんはこう続ける。

「あるお客様は、買ったばかりのアンティーク時計が動かないとかけ込んできました。中を見ると、部品が足りていない。その時計はかなり特殊なものだったので、メーカー修理もできないし、正規の部品もありません。そんな動くかどうかわからない時計を預かり、あちこち部品を探し回ったり、内部にいろいろ手を加えたりし、手間と時間をかけて最終的に動くようになったときは、やはり格別のものがあります。我ながらよくあんなことをやったなと、後から思い返すこともあります。

実は修理のアイデアは、布団の中で寝る直前に思いつくことも少なくなく、毎日のようにああでもない、こうでもないと布団で考えています。昔上司がよく『昨日、寝ながら考えたんだけど…』と言っていて、この人は頭が変なのかな?と思っていましたが、自分は今まったく同じことをしているわけです(笑)」。

日々の修理内容をブログで公開しているため、ゼンマイワークスのもとにはなんと同業者から「うちでは直せないのでお願いします」と修理依頼がくることもある。同社では、それも通常のお客様と同じ価格で請け負っている。

そうして修理作業に没頭していると、気づけば朝まで作業していることもあるという。

「半分、意地でやっているところはあります。できるかぎり『無理です』とは言いたくないっていう。『ゼンマイワークスに来て直らなかったら、もうあきらめるしかない』。そんな存在になりたいんです」。

最近は「佐藤さんのようになんでも直せる時計師になりたい」と、佐藤さんを目標にする後進も少なくないという。

「それに対して僕は『儲からないから絶対やめな!』と言いますが、一方でうちが成功することで、そういう子たちが自信を持ってやれるようにしたいとも思っています。それには、うちの修理に“価格以上の価値”を感じてくれる人を、もっと増やさないといけない。そのために個人としても会社としても、できないことをもっともっと減らしていきたいなと」。

そんな思いを胸に、今日も明日も佐藤さんはブログに、時計とハトの写真をアップし続ける。

INFORMATION

ゼンマイワークス

住所
中央区八重洲2-11-7 一新ビル 2階
電話番号
03-6262-3889
Webサイト
http://www.zenmaiworks.jp/index.html

執筆:田嶋章博、撮影:島村緑

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