「火事と喧嘩は江戸の花」との言葉通り、火事の多さから“火災都市”と称された江戸。そのなかでたくましく暮らす人々が育んだ文化や街並みは、いまもなお多くの人を惹きつけています。一流のエンターテイナーを思わせる江戸庶民の力強さと茶目っ気は魅力たっぷりです。
東京スクエアガーデン1階貫通通路で行われた(一社)江戸消防記念会による「はしご乗りと木遣り等の演技披露」。間近で見ることができ、演者の熱気が観客にも広まります。
参加者の熱気が冷めやらぬままにホールに移動し、セミナーがはじまりました。
第二回の講師は、お江戸ル“ほーりー”こと堀口茉純さん。江戸時代に大活躍した町火消や、浮世絵で日本橋・京橋の姿を伝えた歌川広重など、江戸下町の暮らしに関するお話をお伺いしました。
当時「江戸の三男(さんおとこ)」と呼ばれた“モテ男”は、力士、八丁堀町奉行所の与力と同心、そして火消。とりわけ火消は江戸の町のヒーローで、火災のたびに飛んできては命の危険を顧みず消火にあたる姿に惚れ込む人が後を絶たなかった、と伝えられているのだとか。
江戸の町を大きく焼いた「明暦の大火」を筆頭に、265年間でなんと約500回もの火災が発生しながらも、決して町を捨てることなく再建を繰り返した江戸の歴史は、まさにスクラップ・アンド・ビルド。粋な火消文化ひとつとっても、江戸の人間は誰もが、転んでもただでは起きないたくましさと情熱の象徴でした。そのコアになっていたのが日本橋・京橋エリアだそう。
徳川家康公が最初につくった城下町として中心街になった日本橋から、歌川広重の長年の夢でありローンを組んでまで住みたかった京橋にかけてのエリアは、東海道が通っていたこともあり、地方から名だたる商家がやってきて目抜き通りに競うように店を出したとのこと。
日本橋を起点に、東西に1.6キロ、南北に3.4キロのわずか数キロのエリアに、江戸町人50万人の半数、25万人が住み、なかでも“擬宝珠から擬宝珠まで”と呼ばれる日本橋・京橋間は超激戦区。日本中の憧れのエリアは、江戸っ子のみならず全国から集まった人で賑わったそうです。
そんな江戸下町の台所を支えていたのが行商。関東大震災で築地に移転するまで日本橋にあった魚河岸から、新鮮な魚や野菜をかついでやってくるのが日常風景。江戸時代はデリバリーが発達していて、朝食の支度をはじめようかというタイミングで、食材はもちろん、すぐに食べられるお惣菜、納豆汁と呼ばれたお湯を注ぐだけで出来上がる即席スープなどを売りにきたそう。
このため、当時の日本橋は早朝からにぎやか。町民や武士が行き来する様子を描いた歌川広重の浮世絵は、在りし日の人々の生活を感じさせます。
京橋に家をもった広重が数多く残したのが、日本橋と京橋を題材にした作品。この日、堀口さんはその貴重な浮世絵を見せながら、お江戸ルならではの興味深いお話を披露してくれました。
キュートなルックスとユーモラスな語りで会場を沸かせる堀口さんに、参加者は前のめりに。さすがお江戸ル、盛り上げ方も上手でした。第二回「江戸まち塾」も大盛況でしたが、次回はいよいよ最終回です。
<イベント詳細>
日 時:2017年9月26日(火)
時 間:18:00~20:30
会 場:東京スクエアガーデン 5階コンベンションホール
主 催:日本橋六の部連合町会、京橋一の部連合町会、日枝神社下町連合、日本橋六の部連合町会青年部 日八会
京橋一の部連合町会青年部 京橋はじめ会
協 力:日枝神社、日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会、都市出版株式会社「月刊東京人」
事務局:東京建物株式会社 江戸まち塾係