案内&文/宮下裕史 撮影/石井雄司
「新しい御馳走(ごちそう)の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」
ブリア=サヴァラン著『美味礼賛』の冒頭「美味学の永遠の基礎となる“教授のアフォリズム”」(20)のうちの(9)より。
「天体の発見」というものは、現代では特段に珍しいことではないし、それが人類の幸福にどれほど貢献しているのかもよくわからない。しかし200年ほど前に、ガストロノミー(美味学)という概念をその大著において体系化した、博覧強記の学殖者ブリア=サヴァランとしては、当時、レオナルド・ダ・ヴィンチの偉業にでも模した、最大限の幸福の比喩だったに違いない。
そんな幸福をもたらす「新しい御馳走の発見」を比較的安価かつ確実に叶えることができる夢のような「場」が京橋にある。この場合「御馳走」は「フランス菓子」である。
日本を代表する、というよりは世界に冠たると言うほうがふさわしいフランス菓子店「イデミ スギノ」。オーナーパティシエ・杉野英実は30年以上斯界の最前線を駆け抜けてきた。
杉野はいつも思っている。
「もっとおいしいお菓子を作りたい。もっとおいしく作るにはどうしたらいいのか」
積み重ねてきた経験と、この思いが次の一歩を生む。折り重なるマイナーチェンジが新しい発想のきらめきを導く。
発想(想像力)の豊かさと共に、思いを形にする技(創造力)の精度の高さは杉野の武器である。既に独立している弟子が言った。「あの人は『マトリックス』なんです」。飛んでくる弾丸がストップモーションのように見えるわけだ。杉野には(我々に)見えないものが見えている。ずっと傍で働いていた弟子はそう実感している。
焼く、撹拌する、泡立てる、分量のバランスを決める、色を出す、温度を管理する……。お菓子作りを巡るすべての作業の、際どい、唯一無二の、ギリギリのポイントを杉野が穿つ。ギリギリの集大成が奇跡のようなお菓子を生む。すべてがうまくいくことなど滅多にない。(常人が)見えないものが見える職人には、見たくないものも見えてしまう。だから先に進める。
「想像と創造を持続する“稀代のフランス菓子職人”」。ぼくは杉野をそう呼ぶ。どんなカテゴリーにもひとりはいるものだ。ここを超える者は天才しかいない。しかし天才とは、基本的に存在しない者の謂である。
今回のテーマである手みやげの理想の要諦は、「ささやかな幸福の分配」である。(人類に天体の発見以上の幸福をもたらす)「イデミ スギノ」のお菓子は、当然理想的な手みやげとなる。それらはお菓子名をタイトルとする一編の詩のように、ひとつひとつに生生たる個性とナラティブ(詩人が作る物語)が潜んでいる。
たとえば「アブリコロマラン」というアプリコット(杏)をテーマにしたお菓子がある。ロマランとはフランス語でローズマリーの意。すべての要素を一口に取り込むべく、縦にナイフで切ってほおばる。多彩な要素が絡む一瞬のざわめきのあとに、ピタリと静寂が訪れる。そうしてやおら旨さが炸裂する。この上ない口どけのよさのあとに、永遠のように余韻が続く。
お菓子である。甘味は無論あるが、少しもおおいかぶさってこない。官能的なアンズの酸が芯で見事に屹立している。「華麗な、珍しい、ここにしかない、“アブリコロマラン”という名の、フランス菓子……」と言うような教条的なことはすべてふっ飛ぶ。もっぱら「こんなに旨いアンズを食べたことがない」というシンプルな衝撃が走る。「新しい御馳走の発見」の本懐はここにある。
自分がこれまで認識していなかった、アンズの奥にある本質を突き付けられたような感慨を持つ。いささか飛躍するが、写実を突き詰めて本質をえぐり出す、日本固有の写実画家の雄、岸田劉生の麗子像に通底する。杉野英実は一体どこまで往くのか。
「アブリコロマラン」は概ね以下のように構成されている。
底の層はローズマリーのビスキュイ。その上の層と外側はアンズのムース。その上の薄い層はアンズとペッシェヴィーニュ(赤モモ)のジュレ、その上の層はペッシュヴィーニュのムース、上面にペッシュヴィーニュのジャムと、アンズのシロップ煮1個、フランボワーズ2粒がのっている。
諸要素はすべて杉野が捉えるアンズの本質を補完するためにある。互いに照応して、とろけるように合一して、不思議の国の禁断の果実のように魅惑的な、一個の偉大なアンズの風味を形成する。ポイントはやはり酸のあり様だ。ブリア=サヴァランに負けじと、壮大に比喩すれば、「アブリコロマラン」は「天体」よりも、ボードレールの詩『万物照応』に匹敵する、自然への讃歌となっている。
なお、トッピングされたフルーツはあらかじめ取って、口直しのようにかじりながら食べるのをぼくは好む。この清冽きわまりないお菓子の余韻には、アルザスの白ワインなどを合わせたくなる。
「クラレット」というお菓子がある。クラレットとはボルドー産赤ワインのイギリスでの呼び名である。「イデミ スギノ」のクラレットは、ボルドーの赤ワインのムースに、カシスのムース、ジュレ、ジャムを取り合わせる。カシスの酸がお菓子らしさを失することなく、ボルドーワインらしい酸を絶妙に描出している。トッピングフルーツは巨峰とフランボワーズとブルーベリー。どれにもボルドーワインのニュアンスがある。一個のお菓子が、ボルドーの赤ワインの甘露な化身となっている。
「ラルム」という栗をテーマとしたお菓子がある。マロンの粒が入ったコニャックの効いたマロンムース、やはりコニャックの効いた軽いマロンクリーム、クルミのビスキュイが層になっている。濃厚な秋の三重奏。暖炉の前で(ないが……)、コニャックかシングルモルトを傾け、シガー愛好家としてはラルムの余韻の中でくゆらせたい。
ラルムとは涙の意である。たしかにこのお菓子は涙形をしている。なぜだろう。じきにわかる。秋の気配が濃密で、ちょいとせつないのだ(泣かないが)。
「フランボワジエ」というバタークリームを使ったお菓子がある。バタークリームはどうしても重いというイメージがつきまとうが、驚くほど軽快である。バタークリームにフランボワーズのピュレを加えたり、イタリアンメレンゲを加えたりと色色あるのだが、専門的なことは措くとして、軽快なバタークリームはフランボワーズの酸を鎮めつつ活かし、鮮烈なフルーツを主役としながら、酸とクリームのコクのバランスの絶妙な、温もりのある和みのお菓子となっている。
フランボワジエというのはフランボワーズの木の意である。なんとなく合点する。杉野のお菓子作りは、よりナチュラルに、より根幹へと向かっている。
「ポワリエ」も梨の木という意である。秋のフルーツ洋梨と栗のムースがコンビを組む。どちらも穏やかな風味に仕立てられていて、合わさると、ふうわりほのぼのとした秋がしのばれる。
「イデミ スギノ」には、店内のカフェでイートインのみ可能な、持ち帰りできない、デリケートきわまりないお菓子が6~7種ある。手みやげにはならないが是非味わいたい。
「アンブロワジー」という杉野のスペシャリテチョコレート菓子がある。クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーというお菓子の世界大会で優勝した時のお菓子である。これを越えるチョコレート菓子をと、試行錯誤を重ねて生み出したのが「アラビック(コーヒー豆)」である。コーヒー味のチョコレート、エスプレッソコーヒーのジュレ、クレームブリュレの生地を層にしている。ジュレの冷たいことに目を見張る。冷たい、鮮度のいいジュレの、口中での温度の上昇の中で香気がはじける。この効果は絶大である。なるほど持ち帰ってる場合ではない。
「マリエ」は森のイチゴと呼ばれるフレーズ・デ・ボワとピスタチオのムースを合わせた可憐なお菓子。フレーズ・デ・ボワは、気品あるフルーツとしてフランス人がもっとも珍重するフルーツである。ハーブの気配のある比較的穏やかな酸を、ピスタチオのムースが優しく包む。芯の強さとたおやかさと……マリエ(結婚)。ショップで陣頭指揮に立つマダムへの永遠の結婚プレゼント。ぼくが言っても詮無いがピッタリだ。
比較的日持ちのする三口サイズの小さな焼き菓子は、形も崩れないので生菓子よりは、ずっと気安く手みやげにできる。無論焼き菓子も「イデミ スギノ」のものは格別旨い。
コーヒー風味、ハチミツ風味、アールグレー風味、ピスタチオ風味等等、それぞれの風味が際立っているので、色色取り揃えて手みやげにすればメリハリがあって一層楽しい。
中でも、マロンクリーム入りの生地に、ラム酒で和えた刻んだマロンを仕込んで焼きあげた「マドレーヌ アルディショワ」は、小さいながらもパンチの効いた、秋を豊かに彩る焼き菓子である。
これに匹敵するのが「ショコラプリュンヌ」。一週間ラム酒に漬けこんだプルーンの酸味とチョコレート風味の焼き菓子が抜群の相性を見せる、ニュアンスに富んだ焼き菓子である。両者ともやはり蒸留酒の、まことにおつなアテとなる。
ビターに仕上げたキャラメル生地と、赤ワインとスパイスでじっくりたいたイチジクを二大要素とするパウンドケーキ「キャラメル フィグ」は、ダークな色合いとも相まって、深深とした味わいを持つ。このお菓子は、淑女限定の手みやげ品とすることに勝手に決めた。忍び寄る不安をはねのける力を、彼女にもたらす。
最後は新作「イデミ スギノ」唯一のサレ(塩味)商品。アーモンド、ヘーゼルナッツ、カシューナッツ、三種のナッツに、五種のハーブをまぶした「エルブ ド プロヴァンス」。五種のスパイスをまぶした「エピス ド バスケーズ」。これらは、世界一オシャレな天下無敵の「乾きもの」である。
ちなみに、三種のナッツはこの容器の下から順に均等に詰められている。ここで掟ができる。
(一)、常に三種のナッツを一セットとして食べなければいけない。
「パート・ド・フリュイ(フルーツゼリー)」、ジャムなども含めて、「イデミ スギノ」のお菓子達は、“より軽快により深く”着実に進化を続けている。今、絶好調と見る。
「イデミ スギノ」が最良の手みやげの宝庫であることを受け合う。
案内人プロフィール: 宮下裕史(みやした・ゆうじ)
1955年東京生まれ。「食」文筆家。広告のコピーライターを経て、フランス料理店ガイド『グルマン』のスタッフに。現在、主に食シーンにおける「人」をテーマとして、月刊「dancyu」をはじめとする多くのメディアの執筆で活躍中。おいしいものを知り尽くした知識と巧みな構成・文章力、そして一流料理人の真実を描ききる洞察力で第一線を走る。主な著書に『そば読本』『新そば読本』(平凡社)、『職人で選ぶ45歳からのレストラン』『続・職人で選ぶ45歳からのレストラン』(文藝春秋)、『「そば」名人』(プレジデント社)などがある。
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