「リトル泰興楼Fei店」の「ジャンボ餃子」
文/澁川祐子 撮影/宮濱祐美子
八重洲で70年以上、作り続けられてきた名物餃子がある。老舗中国料理店「泰興楼」の「ジャンボ餃子」だ。
初めて食べたときは、その予想以上の大きさに驚いた。ふつうの餃子の3個分、いやもしかすると4個分ぐらいのボリュームがあるかもしれない。わざわざ「ジャンボ」と謳うぐらいだから、あらかじめ大きいことはわかっていたが、箸に伝わるずっしりとした重さにあらためて「ジャンボ」の威力を実感した。
かぶりつくと、カリッとした香ばしさのあとに、もっちりとした皮の食感と、みっしり詰まったあんのうまみがじゅっと広がる。餃子には野菜の食感を残したものもあるが、これは肉と野菜をよーく混ざり合わせたタイプ。肉と野菜のバランスがいいのか、たっぷりのあんは脂っこさやクセは感じられない。これ以上、あんが多ければ肉団子みたいになってしまうギリギリのところを、やや厚めの皮がうまく包み込んでいる。ひと口、もうひと口と食べ進めるうち、あのずっしりした餃子は、あっさり胃袋に収まってしまった。
お店の案内を見ると、この餃子は泰興楼が創業した昭和24(1949)年から変わらぬ味を守っているという。どんな経緯があって、こんな大きな餃子は誕生したのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、泰興楼本店の姉妹店である「リトル泰興楼Fei(フェイ)店」を訪ねた。
餃子の本場、山東省仕込みの味
泰興楼は現在、3店舗を構える。創業の地である八重洲一丁目で営業を続ける泰興楼本店(現在は再開発のため、同町内で5年ほど仮店舗にて営業中)。30年近く前に開店した自由が丘店、そして2007年に茅場町でオープンし、その後八重洲一丁目に移転したリトル泰興楼Fei店だ。どちらの姉妹店もジャンボ餃子をはじめ、本店と変わらぬ味を楽しめる。
リトル泰興楼Fei店はオフィスビルの地下飲食街にあるが、年季の入ったレンガや木製扉をあしらった内装にオールドロックが鳴り響き、上海や香港の裏路地に迷い込んだ気分になる。泰興楼本店が王道を行く店ならば、こちらは軽く飲みながら料理を味わえるカジュアルな店だ。
「当店では、初代店主の于(ユウ)氏の出身地にちなみ、中国東部の山東省の料理も出しています」と語るのは、店長の松島光雄さん。メニューを見ると、牙籖羊肉(ラム肉の串揚げ)など山東省でよく食べられている羊肉料理がいくつか並んでいる。
創業者である于氏がいつ日本に来たかは定かではないが、戦後の混乱期にいくつかの職を経て昭和24年2月、東京駅前の八重洲一丁目で中国料理の店「泰興楼」を開いた。そしてその年の夏、常連客の頼みによってジャンボ餃子は生まれた。なんでもその客は戦前、日本統治下の満州にいて、そこで食べた餃子の味が忘れられないという。あの味をまた食べたいから作ってほしいと請われ、それがきっかけで提供するようになったのだ。
現在、お店に来るお客の8~9割が注文するというジャンボ餃子。「その当時から、基本的なレシピや大きさも変わっていません」と松島さん。お客にお腹いっぱい食べてほしいとの思いからこの大きさになったというが、それ以外にもしやと思うことがあった。というのも以前、私は日本の餃子の歴史について調べたことがあるからだ。
山東省は中国のなかでも餃子の本場とされる。満州には山東省からの入植者が多く、当然その食文化も持ち込んだに違いない。そして、餃子が食べたいと訴えた常連客のように、満州の地で初めて餃子という料理に出会った日本人も少なくなかったのだろう。
いまでは餃子といえば誰もが知っている人気メニューだが、戦前まではあまり知られていない料理だった。しかも焼き餃子となると、おそらくほとんど知られていなかったのではないか。いまのように焼き餃子を出す店が現れるのは、戦後の昭和20年代のこと。泰興楼はその先駆けの1店である。
中国の料理は明治時代から広まっていくが、中国料理について書かれた料理書を見ると、ちらほらと餃子の記述が出てくるものの、戦前まではほとんどが水餃子と蒸し餃子である。なぜなら本場中国で、焼き餃子はあまり一般的ではなかったからだ。
それでも明治時代の文献にわずかに「鍋貼(クオティエ、コウテイ)餃子」という名前が出現し、昭和時代初期になると「鍋烙(グオラオ)餃子」という名前も出てくる。どちらも鉄鍋で焼く餃子を指し、これこそが焼き餃子。そのよくある姿は、いわゆる棒餃子みたいな長細い形である。
長さ12cmに及ぶ大きな餃子。それは山東省出身の于氏にとって、さほど珍しいことではなかったのかもしれない。それはあくまで私の推測にすぎないが、その大きくてあんがたっぷり入った餃子は、食の乏しかった時代にあって、きっと輝くようなごちそうだったに違いない。だからこそ、時とともにこの町の名物になっていったのだろう。
毎日食べても、食べ疲れのしない味を
ジャンボ餃子は、皮から手作りをするところも昔のままだ。中身のあんは、豚とキャベツ、ネギとごくシンプルだ。にんにくが入っていないので、昼間からおおっぴらに食べられるのもうれしい。
そのあんをひとつ一つ手で包み、高火力の特注の釜できつね色に香ばしく焼きあげる。毎日、売り切る分だけを作り、作りたてを提供している。15年ほど前から働いているという松島さんは、店の料理を「とにかく手作りのものがすごく多い」と語る。
「冷凍の既製品を温めて、ちょっと手を加えて出すということは一切しません。作れないもの以外は、とりあえずイチから作ってみるという姿勢が基本にあります」
泰興楼の隠れた名物となり、商品化もされた「C八醤」も調味料をブレンドするところから作っている。もとは辛いものが好きなスタッフのために柴草さんという料理長が作ったもの。香辛料(チリのC)を8種類使うことと、「シバさん」の名前をかけて、この名前になったという。
取材中、料理の特徴を聞いていた私に、松島さんはぽろりと「うちの料理は、それほど特徴的でないのが特徴かもしれません」と言った。
「料理を辛くしたり、味を複雑にしたり、特徴を出すのは簡単なんです。でもうちの店はデイリーに使ってもらいたいので、食べ疲れない、食べ飽きないというのを目指しています」
その言葉は、これまで食べた泰興楼の料理の味とあいまって、ストンと腑に落ちた。餃子も大きさこそ目を引くけれど、味はとてもマイルドで食べやすい。素直に舌になじみ、食べたあとも胃がもたれたり、喉がやたらに乾いたりなんてこともない。心地よい満腹感だけが残るのだ。
さすが老舗。お腹いっぱい食べてもらいたいという心意気と、体をいたわるやさしい味わいが両立しているからこそ、時代を超えて人々に笑顔をもたらす空間であり続けているのだ。
<執筆者プロフィール>
澁川祐子
ライター。食と工芸を中心に編集、執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎ー人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)、編集・構成した書籍に山本教行著『暮らしを手づくりするー鳥取・岩井窯のうつわと日々』(スタンド・ブックス)、山本彩香著『にちにいましーちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)など。