「NEUE GRAY」(ノイエグレイ)という紙がある。パッと見は白に見えるが、よく見るとクールなグレイ。これまで日本になかった色合いだという。文字が読みやすく、透けにくく、書きやすいといった様々な機能性を備えるブランド紙だ。
開発したのは、創業110年の紙卸売り会社・吉川紙商事株式会社(本社:中央区京橋)。デジタル機器の台頭で紙の需要は大きく減っているが、実は同社が描く紙の未来は決して暗いものではない。果たして老舗はどんな未来を見据えているのか。同社取締役・吉川聡一さんに話を聞いた。
かつては“川”だった昭和通りのすぐ脇に創業
創業は、1909年(明治42年)。2019年に110周年を迎えた老舗・吉川紙商事の歴史は、まさに日本の紙の近代史そのものといえる。
「創業者は私の曽祖父にあたる初代・吉川四郎です。出身は長野県飯田市。飯田市はご祝儀袋などに使う水引きの日本一の産地で、水引きが和紙を原料とすることから、同じ和紙を使った商いを東京で行うことにしたんです」。
拠点としたのは、現在の中央区京橋一丁目。この場所を選んだのは、紙の卸商であることが深く関係している。
「倉庫があったのは、今の昭和通り沿い。実は当時、昭和通りは川でした。和紙の産地から紙を船に乗せてはるばる東京まで運び、雨に降られても速やかに倉庫に搬入できるよう、川のすぐ脇に倉庫を設けたんです」。
後年、同社はその場所に自社ビルを建てる。現在は同社の所有ではないが、ビルは「京橋YSビル」の名前で今もその場所にある。YSとは、吉川四郎の略だ。
創業から30年ほどは和紙を専門とする卸商だった。ところが太平洋戦争で紙の流通が大幅に規制され、さらに戦後、連合国軍総司令部(GHQ)をはじめ外国から洋紙がもたらされると、同社は「この先は印刷のしやすい洋紙が主流になるだろう」と、業界に先駆けて洋紙主体の商いに大転換。そして1964年の東京オリンピックを機に印刷用の洋紙の需要が大幅に増えると、早くから洋紙を扱っていた同社の売上は一気に伸びた。
ところが同社はその後、意外な一手を打つ。コンピュータの販売事業だ。
紙が売れに売れるも「うちの身の丈に合っていない」
「実は当時、洋紙の原紙販売があまりに好調で、当時の社長はこう判断したんです。『今の売上はうちの身の丈に合っていない。今のうちに商売の柱をもう一つ作ろう』と」。
そこで目をつけたのが、今後大きく伸びていくだろうと思われたコンピュータだった。同社は日本初のIBM特約店の1社として1982年、IBM製コンピュータの代理店販売業を開始。その後、コンピュータ事業は会社の柱の一つに成長し、現在もYBS(吉川ビジネスシステムズ事業部)としてIBM製を中心としたコンピュータの販売を行う。
1990年には、紙の博物館「ペーパーインフォメーションミュージアム」を水天宮前にオープン。これは、様々な紙の知られざる特性や機能を公開し活かしてもらおうという、先々のデジタル時代を見越した取り組みだった。ミュージアムは既に閉館しているものの、この取り組みが同社の大きな指針になっているという。
現在、吉川紙商事の社長を務めるのは、そのミュージアムを立ち上げた人物で、聡一さんの父でもある吉川正悟さん。正悟社長は2016年、洋紙および紙卸売業界への振興発展が認められ藍綬褒章を授賞している。
こうして110年に渡り紙とともに歩みながら、時代を先取りし続けてきた吉川紙商事。同社は現代の紙を取り巻く状況を、どう捉えているのだろう。
メーカー・印刷工場・デザイナーが三位一体に
現実に目を向けると、ここ15年で印刷会社は半分ほどに減った。それに関連した紙の卸売りも約50%になったという。特に減少が著しいのが新聞、雑誌、そしてオフィスで使用する帳票などの需要。ただ、ティッシュペーパーやトイレットペーパーといった印刷を伴わない紙の需要は決して減っていない。またネット通販が広く普及したことで、ダンボールの需要はむしろ増えている。
そして同社がいま特に力を入れているのが、これまでにない用途や機能を持つ紙製品だ。冒頭で紹介したブランド紙「NEUE GRAY」(2017年に発売)は、まさにその一つ。白のようでありながら、実はほんの少し青みがかったグレイで、日本の紙で初となる色合い。白色度が程よく抑えられているため、白紙としても使えながら目に優しく、書籍の本文用紙に適している。写真表現やデザインを制限しにくいため、他にも写真集、カレンダーなどオールマイティーに使える。
加えて薄い斤量でも透けにくく、郵便用封筒としても重宝する。印刷だけでなく、文字を書く際にもなめらかな書き心地を実現する。
「これまでは、商品を作るうえで印刷会社や、紙を使うデザイナーさんと連携を図ることはほとんどありませんでした。そこでNEUE GRAYの開発にあたっては、デザイナーさんが使いたいものや、印刷会社が印刷しやすい、あるいは買いやすいものを徹底的にリサーチしたんです。前例のないことだったので調整に苦労しましたが、そうやってメーカー・印刷・デザインが三位一体になったからこそ生まれた紙といえます」。
同じく2017年、初の自社プロデュース商品となる「デザインメモロール」を発売。ポップなイラストが描かれたペーパーロールはミシン目で切り離すことができ、内側にメモを書ける。20~30代の女性を中心に人気を呼んでいる。
電子は紙の敵ではなく、仲間だ
紙を意外なところに活用したプロダクトも手掛けている。その代表作が、2018年より展開中の「かみのやたい」。これは、かの日本酒ブランド・獺祭とのコラボプロジェクトで、獺祭ストア銀座の店頭で定期的に開かれるテイスティングイベントのために制作された紙製の屋台だ。
「屋台の代名詞といえば、提灯です。あの特徴的な光には、不思議と人を吸い寄せる力があります。そこで今作では建築家の方と相談し、特徴のある紙を使い、屋台そのものが提灯みたいにぼんやり優しく光るデザインにしたんです。昔の日本には、今の人には知る由もない紙や紙の使い方がたくさんありました。その一つをリメイクした形です」。
また聡一さんは2016年、吉川紙商事の世界観を紹介するオリジナル映像作品「かみ」をプロデュース。計3分間の映像には、紙漉きの場面以外にも裁断、梱包、出荷といった普段はあまり見られない製紙の現場の日常が映し出されている。実はこの作品、870枚のはがきを1枚1枚コマ撮りして動画に仕立てている。
「最近はモニターの精度がとてもよくなり、紙の質感をも画面で表現できるようになりました。電子製品と紙を上手く組み合わせ、互いの強みを活かし合う。そんなスタンスも、紙の未来にはとても大切だなと思います。『電子は紙の敵ではなく、仲間だ』。我々は常々そう考えています」。
左)獺祭ストア銀座の店頭で開催されるテイスティングイベント用に制作した紙製屋台「かみのやたい」。世界観とよく合っている
右)聡一さんがプロデュースを手掛けた吉川紙商事のイメージ動画「かみ」
紙は“愛”を伝えられる媒体。なくなることはない
世の中全体で見れば、紙の使用量はかつてより大きく減った。でもその分、紙であることの価値は増しているともいえる。たとえば企業のウェブサイトや商品のウェブ販売が当たり前になったからこそ、保存性と再読性が高く、世界観が伝わりやすい紙のカタログの価値が増している。パソコンやスマートフォンを介したメッセージがデフォルトになったからこそ、手紙や手書きのメッセージのありがたみが増している。
紙の使用頻度が減った分、かえって浮き彫りになった紙本来の特性。人間的で温かみがあり、質感が感じられ、五感に訴えかけられる。いうなれば紙は、様々な“愛”を伝えられる媒体だ。ふと周りを見ると、たとえば日本独自の「紙で包む」という文化も愛を伝える行為であるし、世界を見渡しても、愛の告白は昔も今も「ラブレター」に勝るものはなかなか存在しない。
「私は小さな頃から会社の倉庫が遊び場で、紙のいろいろな側面を見てきました。時には紙がおやつを乗せる器になったり、時には雨から身を守る傘に変わったり、時には障子やふすまとして空間を遮る扉に変わったり。だからこそ、こう確信しています。紙の文化はこの先もずっと続くだろうと。でもそれには、みなさんにも紙の存在価値を見つけていただく必要があるんです。
幸いにも、日本には固有の水と原料により紙の先進国として長く世界をリードしてきた歴史があります。だからこの先はもっともっと『こんな紙もあるんです』、『こんな使い方もできるんです』というのを、いろいろな形でみなさんにお伝えしていければと思っています」。
聡一さんは業界の内外に顔が広く、個人的な繋がりをきっかけに紙のプロジェクトが始まることも多いという。吉川紙商事による、既存の紙の枠を越えた取り組みに、今後もぜひご注目を。